美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

佐賀県鳥栖市姫方町 姫古曽神社


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火事で焼けた社殿が再建されたのが2017年でした。

再建の話をきき、総工費約4,000万円でどのくらいのものが建つのか、地元町内会の方と見学に来たことがあります。そのころはまさか神社めぐりに本格的に取り組むことになろうとは思いもよりませんでした。ひとは変わるものです。

小郡市大崎 媛社神社(七夕神社) - 美風庵だより

以前、小郡市大崎の七夕神社を訪問したおり、ここも併せて実見しないといけないとは思っていたのですが、なんと半年以上経って、やっと訪問することができました。

いつもであれば福岡県神社誌の抜粋を最後に掲載するのですが、今回はそれができません。

代わりに、境内の案内板を書き写すことにします。

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姫古曽神社御由緒
祭神
 市杵島姫命
 八幡大神
 住吉大神
 高良大神
 菅原道真

神事
一 七夕祭 八月七日
二 放生会祭 九月十五日

 当社の原初祭神は織女神(たなばた姫)であった。このいわれは「肥前国風土記姫神郷の段に詳しい
 時移りて弘仁二年(八一一)時の村長某が豊前国宇佐八幡宮の分霊をここ姫方の地に勧請,先づ徳丸というところに行宮を建てて祀り,のち現霊地に社殿を建立して奉還,住吉六神,高良大神を合祀して八幡宮と称し姫方村の氏神とした。
神課十一人で宮座をつとめ,かつては,九月十五日の大祭には重田の仮宮まで御神幸が行われていたが,いつの頃にか絶え,祭典のみが執り行われてきた。
 社殿等の建立は,寛文十一年(一六八一)宝殿一宇再建,延宝八年(一六八〇)宝殿一宇再建,天明七年(一七八八)鳥居一基建立,文化七年(一八一〇)社壇(天満宮),拝殿建立が伝来の古記録によって知ることができる。
 この八幡宮勧請以後,本来の主神である織女神は疎外されていたが,明治の御一新に当たり村人相はかって近くの「たなばた屋敷」におわした織女神を市杵島姫命の神名をもって主神の座に復し奉り,社名を姫古曽神社と改めた。以後,たなばた祭が執り行われるに至った。
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この記述から、いくつかのことがわかります。

現在の小郡市大崎の媛社神社(ひめこそじんじゃ。通称:七夕神社)では、媛社神とは饒速日命(にぎはやひ)のことであるとしています。饒速日命はいくつも名前をもつ神様で、私たちが最もよく目にするのは猿田彦でしょうか。またの名は山幸彦であり、五十猛命でもあります。その媛社神が居ません。

なのに、神社の名前は「姫古曽神社」です。

姫古曽神社

この辺りの謎を解く鍵は「肥前国風土記」の記述にあるかもしれません。上記のホームページの最後に紹介されています。読めばわかるとおり、荒ぶり害をなす媛社神は、織女神(市杵嶋姫命)と同一視されているのです。

最初はお祀りされていたが忘却されたのか、それとも、小郡市大崎の七夕神社に押し付けて、自分たちは祀らないことにしたのか、そこは案内板から読み取ることはできません。

その後、宇佐八幡宮の分霊を勧請したとありますが、のちに高良大神・住吉大神も合祀したとあります。高良大神・住吉大神八幡大神という配置は、高良玉垂宮そのものであり、宇佐八幡宮から勧請をうけたあと、より近い玉垂宮の影響を受けるようになった時期があるとみてよいでしょう。名前だけは八幡宮のままだったでしょうが、実態は玉垂宮となっていたものと思われます。

そして明治になり、肥前国風土記と地域の伝承をもとに、再度織女神を祀る姫古曽神社となったのです。

荒ぶり害をなす媛社神も、彼らを支持する者が居なければ神とはなりえません。自らを支持する者を害して歩くわけはなく、このことから、この鳥栖市姫方町から小郡市大崎にかけての一帯が、猿田彦(山幸彦・五十猛命)と敵対する勢力との紛争地域であったことが推測できます。荒ぶり害をなす媛社神とは、猿田彦と敵対した勢力側からの書きぶりです(味方に向かってこんなことを書くわけがない)。

その敵対した勢力とは海幸彦こと、天之忍穂耳(英彦山)だったと考えています。

織女神である市杵嶋姫命は、いわば宗像族とでも呼ぶべき一族の出身であり、彼らが調停役を務めたのでしょう。または、猿田彦(山幸彦)と天之忍穂耳(海幸彦)の勝敗を決したのが、加勢した宗像族であったのかもしれません。その感謝として、姫古曽神社には織女神として市杵嶋姫命が祀られるようになったのではないでしょうか。

筑紫野市原田 筑紫神社 - 美風庵だより

姫古曽神社について考えるなら、筑紫野市原田の筑紫神社との関連も考慮すべきであることがわかります。小郡市大崎の媛社神社との関係より、筑紫神社のほうが過去を知るうえで重要かもしれません。

(2020.06.06訪問)