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鳥栖市姫方町の姫古曽神社からの帰路、あらためて媛社神社を訪問しました。
前回は2019年の10月に訪問しました。そのときの文章を読み返すと、書きながら悩んでいることがわかります。
原因は、御祭神が誰のことなのか、諸説あることに引きずられていることに尽きます。
wikiと福岡県神社誌ですでに御祭神が違います。
現地で配布しているパンフレットでは、織女神は高木大神(高皇産霊神)の娘 萬幡豊秋津姫(よろづはたとよあきつひめ)を指し、夫である天之忍穂耳との間にできたのが、媛社神である饒速日命(にぎはやひ)としているのです。
日本書紀と古事記をにらみつつ、海幸と山幸による領土紛争の痕跡を消し去るためにでっちあげたはいいものの、鳥栖市姫方町の姫古曽神社と同じ織女神なのに中身が違う結果となりました。
考えるまでもなく、荒ぶり害をなす媛社神を大人しくさせるために宗像族に祭祀を執り行わせたのが姫古曽神社の原型とされているわけですから、荒ぶる神の父母がメインの恋人の聖地というのも、妙な話ではあるのです。
やはりここは、猿田彦(山幸彦、饒速日命、五十猛命)と天之忍穂耳(海幸彦、天児屋根命)の領土紛争が、宗像族の天之忍穂耳への助勢で決着し、その際、宗像族から市杵嶋姫命が天之忍穂耳の妃のひとりとして送られたとみるべきではないかと思います。
別れることになった天之忍穂耳と市杵嶋姫命を七夕伝承に重ね合わせて偲ぶのは、英彦山勢力(天之忍穂耳)と宗像族の結合により、一時的にせよ平和が訪れた人々の感謝のあらわれが記憶に刻印されたものではないでしょうか。
昨年10月以来の再訪でしたが、だいぶ思考もすっきりしてきた気がします。神社めぐりをしながら、またなにか媛社神について、気づくことがあるかもしれません。
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過去の訪問記録
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福岡県神社誌:中巻161頁
[社名(御祭神)]媛社神社(媛社神、織女神、菅原神)
[社格]郷社
[住所]三井郡小郡村大字大崎字東
[境内社(御祭神)]天満神社(菅原神)
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