美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

埼玉県秩父市番場町 秩父神社 再訪


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秩父神社 - 美風庵だより

秩父神社 - 美風庵だより

秩父神社

今回で3回目の訪問です。

御祭神は思兼命(おもいかね)と天之御中主、知知夫彦、秩父宮とされています。むろん、秩父宮は後世の合祀であり、最初からお祀りされていたわけではありません。
社伝では知知夫彦が祖神の思兼命を祀っていたところに、鎌倉時代に妙見信仰が加わってきたとのこと。

過去の訪問時点では、思兼命の実体は誰なのか、答えを見つけていませんでした。

おそらく思兼命とは八咫烏(やたがらす)であり、豊玉彦であり、八大龍王であろうと考えています。豊玉彦本人もしくはその血族が秩父の地に進出した痕跡なのです。

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現地に到着したのは拝殿の閉鎖時間ぎりぎりで、なんとか参拝を済ませてから境内を眺めます。

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社殿の彫刻がじつに美しい神社です。権現造りの社殿といい、神仏習合が完成をみた江戸初期の様式を残しています。ほれぼれしてしまいます。
境内案内 | 秩父神社

このお宮の特徴は、社殿の両脇に内宮と外宮がお祀りされ、その背後に天神地祇社と称して全国の一之宮を勧請している点です。ここに来れば、とりあえず全国のおもだった神様全てに手を合わせることが出来ます。むろん、熱田をはじめほかの神社でも似たような境内社を設えている例はあるのですが、ここまでコンパクトかつ合理的ではありません。

豊玉彦の実父は大幡主であり、その長姉が天之御中主ということを考えれば、妙見信仰を受け入れる余地はいくらでもあったわけです。甥を祀る神社に、もっと格上の伯母が祀られるようになっても、そこまで不思議ではないでしょう。

もう一歩踏み込むなら、本当にここは思兼命(豊玉彦)をお祀りしているのか、という疑問もわきます。知知夫彦が祖神を祀るお宮として創建したのであれば、思兼命(豊玉彦)の父 大幡主(国常立命神皇産霊神)のほうが、もっと大物だからです。

記紀を参考とするなら、現皇室の祖先が行った日本制圧に貢献した思兼命(豊玉彦八咫烏)のほうが格上ということになるのでしょうが……。

大幡主(国常立命神皇産霊神)や天之御中主について触れすぎると前王朝の姿が見えすぎてしまいます。

知知夫彦とその一族も当然、その点は「忖度」して祖廟を創建したはずなのです。

すると、ここは日本創建に貢献した姉弟を祀るお宮であり、それを取り囲む境内社の数々は、彼らの格を示していると見ることも出来ます。

境内には皇族がお手植えした樹木が複数あり、その一つ一つに立札があります。初めて来たときは、よほど皇室に縁のあるところなのだろうと漠然と考えていましたが、そういう受け取りかたは正しくない気がします。前王朝の超VIPをお祀りしている以上、目を付けられるわけにはいきません。生き残るために必要な迎合の証なのです。

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天神地祇社で、玉垂命に手をあわせます。

境内には前述したほかにも、多数の境内社があります。特に気になったのは菅公を祀る「天満天神社」でしょうか。通常であれば天満宮で片付けるところを「天満天神」と、ほかにも天神は存在することを暗示した社名にしています。九州福岡で、とにかく天神社は菅公を祀るものと、徹底的に塗りつぶされた姿しかお目にかかれない赤貧には、じつに新鮮です。ほんらいの姿を知るためには、敢えて本場を離れてみることも必要なのだということが、よくわかります。

(2020.03.26訪問)