松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

糟屋郡新宮町湊 綿津見神社


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海の守り神である綿津見神社(わたつみじんじゃ)由来とアクセス | 新宮町移住ナビ

新宮町ガイドによれば、かつて湊に住んでいた漁人が、1685年に新宮に移り住むと同時に磯崎鼻にあった磯崎神社と、氏神である南風湊宮を新宮に遷座ししたそうで。
湊に残った人たちは、近くに氏神が無くなったので、本村だった三苫の氏神である八大龍王社を分社してもらい、1730年に綿津見神社を建立したとあります」。

この新宮町湊地区の綿津見神社についてgoogleを検索すると、かなり興味深い記載があります。対岸の新宮(当時の神宮浦)に住民が移住するさい、祭祀していたお宮もなんもかも持ってっちゃったので、残った住民であらたに祀りなおしたのがこの綿津見神社だというのです。1685年に集団移住が行われて、新たに祀りなおしたのが1730年と、その間に約50年あるのも不思議です。
これまで村が分割されたさい、神社も分社したケースはみてきましたが、あらたに迎えなおしたというのは、記憶にありません。

すると、もともとここに住んでいた住民は根こそぎ新宮に集団移住して、空き地にやってきた住民が、あらたに本村から分社してもらったのがこの綿津見神社だとかんがえるのが、理に適うようです。

灯篭に「皇軍必勝」とあり裏を確認すると、1938年(昭和13年)でした。時代を反映していますね……。

福岡県神社誌では須佐神社とありますが、現地鳥居の扁額は「須賀神社」です。

境内社で鳥居があるのはこの2つの石祠だけで、八剣神社と須賀神社は、別格として扱われていることがわかります。

庚申塔のさきにある石祠は、どなたが祀られているものなのかわかりませんでした。

福岡県神社誌:上巻117頁
[社名(御祭神)]綿津見神社(底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神)
[社格]村社
[住所]糟屋郡新宮村大字湊字屋敷
[由緒]享保十五年該村氏子にて創立す。明治五年十一月三日村社に被定。
[境内社(御祭神)]若宮神社(仁徳天皇)、八剣神社(日本武尊)、須佐神社(須佐之男神)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.06.03訪問)

2023年1月26日の日録

今日の運動経路

今日は福岡市内に出ました。

午前中1件用事をすませて、次の予定まで90分ほど空きがあります。

氷点下のくっそ寒いなか、「神社めぐり」をすることにしました。

西鉄電車を薬院駅で下車して、福岡天神に向かって歩きます。今回の経路は都心の繁華街が多く若い女性が写りこむ危険があり、ほぼ写真はありません。ご了承ください。

今回はiPhoneのGPS感度がわるく、道を行き来したため4㎞くらい歩きましたが、ストレートに一発で現地にたどり着いていれば、3㎞ほどで行けるコースでした。50分ほどの散歩です。

薬院駅で下車してすぐ、小雪がちらつきはじめます。笑っちゃうほど寒く、風が吹き抜けます。

最初の「容見天神跡(すがたみてんじん)」は、googleマップをみた時点で私有地内だとおおよそわかってはいたものの、なかなかの姿に衝撃をうけます。現在、天神の毎日新聞会館やアクロス福岡の近くにある水鏡天満宮は、福岡城築城までここにあったとのこと。福岡城築城のさい、黒田家が鬼門の守護として、現在地に遷座します。

左遷された菅公が川面に映るわが姿をみて嘆き、鏡をみて嘆き、飛ばされた場所の田舎ぶりをみて嘆き、身の潔白を証明して都に戻れるよう祈願した、神に祈りが届くよう御神体を自ら彫った(書を書いた)と、まぁ、県内どこもかしこも菅公が「ここで嘆いた」「帰りたい帰りたいと祈願した」という伝承だらけ。

これがのちの祟り神菅公(天満大自在天神)大昇格の伏線だとはいえ、どうしてこうも?という気がするのもたしかです。

2社目の延命地蔵菩薩は、googleマップにある古いお堂ではなく、ピカピカの姿になっていました。

3社目の若宮神社です。若宮とは誰のことかというと、ここのご祭神は豊玉姫。つまり海神豊玉彦の娘さんです。むかしはここまで海岸線が来ていたそうで、航海の安全を祈願して祀られるようになり、江戸時代の大火で神社とその周辺が延焼をまぬがれたことから、火難除けの神社としても信仰をあつめていたとのこと。

手水鉢に氷が張っています。

本日の最後は、警固神社です。背後にみえるのは西鉄福岡駅と福岡三越。都会のど真んなかでいつでもいけるため、ずっと後回しにしてきたひとつです。

6月23日の日録 - 美風庵だより (hatenadiary.jp)

10月23日の日録 - 美風庵だより (hatenadiary.jp)

福岡市内に警固神社は3社あります。平安時代に「警固所」という大宰府防衛の拠点が設置され、警固所運営のため割り当てられた領田に祀られた鎮守が、のちに警固神社となります。

駅や三越から歩いてたぶん5分ほどでしょうか。場所が良すぎてひごろは観光客が多く、iPhoneで撮影するのに気おくれしてあと回しにしていました。そういう意味では、今日は氷点下で歩いている人もほとんどおらず、神様の思し召しだったのかもしれません。

今日は13時から某組織の県本部にて立候補予定者の推薦状交付式でした。まだ12時前のため、近くの商業ビルか天神地下街まで戻って、時間をつぶすことにしました。

2023/1/26(木) QUARTET AMABILE 演奏会 あいれふホール

18時半から演奏会があるため、知人事務所にもどるまえに、近くのネカフェでこの記事を書いて、18時の予約投稿を設定しました。知人事務所で堂々と内職できませんからね……(今日のこの日記はネカフェの利用料金ぶん、元手がかかっています)。

たまたまでしょうが誰からもどこからも電話・メールがなく、ゆっくり向こう3週分の「神社めぐり」をチェックしました。意外と「てにをは」や文章の流れがおかしいことがあるため、読み返していて頭のなかはどうなってるのかと思うことがあります。まぁ、貧窮にあえぐアホのやることなので、その程度なのかもしれません。

演奏会の感想は、帰宅後に書こうとおもいます<(_ _)>

 

「時代遅れの酒場」

youtu.be

個人的には高倉健さんよりこっちなんですよね。

♪この街には不似合いな 時代遅れのこの酒場に

♪今夜もやってくるのは ちょっと疲れた男たち

♪風の寒さをしのばせた 背広姿の男たち

ですね~(^^♪寒い日はついこの曲を思い出します。