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googleマップに記載があります。どうも企業の邸内社(屋敷神)のようです。竹駒神社の御神札が納められています。この竹駒神社とは、宮城県岩沼市の竹駒神社のことでしょうか。
(2020.12.19訪問)
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googleマップに記載があります。どうも企業の邸内社(屋敷神)のようです。竹駒神社の御神札が納められています。この竹駒神社とは、宮城県岩沼市の竹駒神社のことでしょうか。
(2020.12.19訪問)
睡眠と仕事を優先しているため、とうぶん掲載が遅れ気味になります。ご容赦ください。
12日の午前中お休みをいただきました。
最初、天気予報は雨マークだったので期待していなかったのですが、どうやら降ってもパラパラといった感じです。
これなら、神社めぐりに行けます。12時半までに戻ればよいのです。素晴らしい。
方位を確かめると、朝5時~7時に出発する場合、北東・東・南東が良いようです。
数分ほど思案して、日田を2年ぶりに訪問してみることにしました。
今回は亀山公園の駐車場に駐車させていただき、市内の神社を訪問しました。ぜんぶで15カ所訪問することができました。GPSログで、約16kmほどの運動です。
現地に到着すると、まだ駐車場はあいていませんでした。仕方がないため門の前に停めさせていただき、亀山公園内の日の隈神社を訪問して、開門を待つことにします。
元はお寺や祇園社があったらしいのですが、明治維新以降、後醍醐天皇や楠公を祀る日の隈神社になっています。
下山すると門が開錠されていたので、車を移動させました。折りたたみ自転車を組み立てて、GPSを起動し、神社めぐり開始です。
旅館街と亀山公園が見える場所で、1枚撮影してみました。
今回の訪問地で最も重要だと思われたのは、やはり日田市石井地区の「石井大明神社」でしょうか。
初代日田国造の鳥羽宿禰を祀る神社とされています。今回訪問して、おそらく鳥羽宿禰は玉垂命の一族ではないかと考えました。細かい点は「神社めぐり」シリーズで取り上げたいと思います。
同じ日田市石井地区の若八幡宮も、どこかで見たような「若八幡宮」でした。長い参道と島になった配置。探せばあるものだと感激してしまいました。
日田バスの本社と営業所前を通りかかったので1枚撮影してみました。
大原八幡宮が見える位置にある会所山に登り、久津媛神社を訪問する前に休憩にしました。ソイジョイを2本と水をいただきました。とにかく湿度が高いせいか、汗が出てしかたがありません。運動不足もあるのでしょうが……。
朝、水門側から旅館と亀山公園を撮影しましたが、今度は、旅館街側から、水門と亀山公園を撮影してみました。
汲場の跡に石碑が建てられています。
亀山公園の駐車場に帰り着いたのが、ほぼ11時でした。
12時半までに甘木に戻る必要があったのですが、余裕で帰り着きました。
19時から町内会の打ち合わせがあり、帰宅してから「神社めぐり」を作成します。
明日も午前中はお休みをいただけるので、日田市内でさらに神社めぐりを行う予定です。
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六、鷹取 白魚稲荷神社 《無病息災》
鎮座地:大田区羽田5-27-8 【地図】
例祭日:5月最終土曜日
武蔵国風土記に“漁士白魚を初めて得しときは、まず此の社に供ふる。故にかく云へり”と社名の起源が記されている。
多摩川の砂利砂採取が行われるようになった頃、この事業に従事する人たちの信仰を受け、社頭は大いに盛んであった。昔、この附近は藁葺き屋根が多く、漁師町特有の建込んだ家並みから、火事が起らないよう祈願する人も多く火伏せの神様としても信仰がある。その為か、この社は先の大戦の戦火を免れた。
(2020.12.19訪問)
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別格、羽田 玉川弁財天 《金運長寿》
鎮座地:大田区羽田6-13-8 【地図】
江戸名所図会に“羽田村の南も洲の先にあり、故に羽田弁財天と称せり。本尊は江の島本宮巌屋弁財天と同体にして、弘法大師の作なりといへり。宝永八年(西暦1711年)四月此地に遷し奉る云々”とある。社頭は、江戸新堀 小西九兵衛という酒問屋が全て造ったとされ、境内の一部に常夜灯があり、沖行く舟の目標であったと云う。また、当社にまつわる様々な版画も残されている。現在の羽田空港内(要島・鈴木新田)にあったが、昭和20年9月連合軍の強制立退命令により現在地に遷った。
元々、ここは写真の水神様が祀られていた場所だったとのこと。昭和20年(1945年)、GHQの強制立ち退き命令により弁財天像が移され、現在の姿となりました。
この弁財天像は空海作で、江ノ島の弁財天と同じものとされています。灰を固めて自刻したという話もあるようです。ただ、実際には江戸時代に複数製造された模刻(レプリカ)の一体という話もあり、その辺りが本当のような気もするのですが、どうでしょうか。
境内には、「玉川弁財天」の下宮が祀られている。現在の羽田空港の位置にあった神社で、江戸時代には『江戸名所図会』で取り上げられるほどの景勝地であった。戦後、GHQの空港拡張工事によって強制退去させられたので、合祀されることになった[1]。
もしGHQの接収を免れていたら、元の姿はどのようなものであっただろうか……。
(2020.12.19訪問)