美風庵だより

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【羽田七福いなりめぐり】東京都大田区羽田6丁目 玉川弁財天


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[公式]羽田七福いなりめぐり

別格、羽田 玉川弁財天 《金運長寿》
鎮座地:大田区羽田6-13-8 【地図】
江戸名所図会に“羽田村の南も洲の先にあり、故に羽田弁財天と称せり。本尊は江の島本宮巌屋弁財天と同体にして、弘法大師の作なりといへり。宝永八年(西暦1711年)四月此地に遷し奉る云々”とある。社頭は、江戸新堀 小西九兵衛という酒問屋が全て造ったとされ、境内の一部に常夜灯があり、沖行く舟の目標であったと云う。また、当社にまつわる様々な版画も残されている。現在の羽田空港内(要島・鈴木新田)にあったが、昭和20年9月連合軍の強制立退命令により現在地に遷った。

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元々、ここは写真の水神様が祀られていた場所だったとのこと。昭和20年(1945年)、GHQの強制立ち退き命令により弁財天像が移され、現在の姿となりました。

この弁財天像は空海作で、江ノ島の弁財天と同じものとされています。灰を固めて自刻したという話もあるようです。ただ、実際には江戸時代に複数製造された模刻(レプリカ)の一体という話もあり、その辺りが本当のような気もするのですが、どうでしょうか。

水神社 (大田区) - Wikipedia

境内には、「玉川弁財天」の下宮が祀られている。現在の羽田空港の位置にあった神社で、江戸時代には『江戸名所図会』で取り上げられるほどの景勝地であった。戦後、GHQの空港拡張工事によって強制退去させられたので、合祀されることになった[1]。

 もしGHQの接収を免れていたら、元の姿はどのようなものであっただろうか……。 

 (2020.12.19訪問)