松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

尺岳神社

goo.gl5日、畑観音から戻る途中、畑貯水池のところに「尺岳神社」があるのに気付きました。googleで検索してみると、日本武尊(倭建命)を祭神とする神社のようです。

思うところあって、立ち寄ってみることにしました。

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離合の困難な狭い道は走りたくないので、近場の駐車場に車を停めて10分ほど歩くことにします。連休中ということもあるのか、遊歩道を歩くひとたちに何人も出くわします。市民の憩いの場となっているようです。

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「畑キャンプセンター」の入口から、貯水池の様子がよく見えます。この状態でだいたい6割ほどの貯水率(4月26日現在)とのことですが、もっと低そうな気がしました。

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このキャンプセンター入口脇の砂利道をてくてくと歩いていくと、「マムシ注意」の看板にしょっちゅう出くわします。そして、どこからするのか蜂の羽音がぶんぶんと聞こえてきます。googleマップで位置を検索しつつ歩いているはずなのに、いっこうに到着しません。ソフトバンクの電波が弱いのか……。

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……などと考えていたら、いきなり鳥居に出ました。鳥居脇が砂利道になっており、軽トラくらいであれば、充分乗り入れできます。

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右手に建物を発見。どう見ても公衆トイレです。なかに入ると、まごうことなき公衆トイレでした。ちゃんと清掃状況の点検票も掲示されています。トイレが設置されているほどちゃんとした神社なのか?……この時点で、どこかキツネにつままれたような気になります。

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二の鳥居をくぐり境内に出て驚愕しました。

広い境内に神社がいくつも並んでいます。

赤い神明社が尺岳神社で、その左横の流造が須賀神社祇園社)のようです。

境内にはほかにも祠が並んでいます。扁額があったり境内に案内板があったりするわけではないので御祭神は不明ですが、どれもきちんと手入れされています。

そしてなによりも驚くのは、尺岳神社も須賀神社も最近補修がなされたあとがあることです。パッと見てどこにこの費用を出す氏子集落があるのかがわからなかっただけに、どこか異次元に入り込んだかのような気になります。

尺岳神社も須賀神社も、拝殿・幣殿・渡殿・社殿と神社建築のセオリーをきちんとふまえた構造になっています。

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床も張り替えられて何年も経っていません。神社の補修はとにかくお金がかかります。それなりの腕前をもった大工に頼まないと、せっかく補修してもあとがもちません。

よほど地域に愛されてきた神社なのだろう……。そう思いつつgoogleで検索すると、畑地区の鎮守として信仰されてきた神社であること、ダムの上流部の集落がまばらに存在する地域だけでなく、八幡市と合併する前の旧香月町大字畑(畑地区)は、ダムの堤防の先の住宅地まで存在することを知ります。

畑地区のど真ん中に戦時中、八幡製鉄八幡市の共同事業としてダムを建設して、ちょうど鎮守があるところは、少し高い位置だったため、残ったということです。

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奉納された絵馬も明治のものから平成(!)になってからのものまでいくつもあります。

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地元民でもなんでもないのですが、幣殿の位置に正座して手を合わせます。渡りの距離感も申し分ありません。これを維持してきた地元のみなさんは、素晴らしいと思います。

赤貧はむかしから日本武尊(倭建命)と武内宿禰は同一人物ではないか、という仮説を立てています。武内宿禰の子 波多八代宿禰の子孫が居ついた土地に「畑」と名付け、祖神を大事にお祀りしている……。そう考えると夢があるではありませんか。

日本書紀では日本武尊と書きますが、古事記では「倭建命(=日本をつくった男)」と書かれています。建国の英雄を鎮守として大事に祀っていることは、とても良いことです。

帰路、キャンプセンターの入口のあたりまで、あいかわらず蜂の羽音に悩まされました。首筋に止まろうとするのですが、叩くと刺されますから叩くわけにもいきません。

キャンプセンターのところでどこかへ退散していきました。

ディーラーには半年点検・1年点検で顔を出しますので、その折に、また訪ねてみようと思います。

スウィーティー

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母の日ということで、叔母にスウィーティー(オロブロンコ)を贈りました。

樹上で3か月熟成させたという触れ込みのものを送ったら、甘いと絶賛だったので、神棚に2ついただいてきました(贈ったものなのに)。

叔母の娘と味見をすると、交配元の文旦やグレープフルーツで味わえない甘さがのっており、爽やかでいくらでもいただけます。収穫後に保管すると酸味は抜けますが甘味は増えないので、樹上で熟成させる意味があります。

そんなに高いものではありませんし、みなさんもお世話になったかたへ母の日に贈ってみてはどうでしょうか。

陰謀?

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https://www.jiji.com/jc/article?k=2019041200827&g=soc
 
時事通信の4月の世論調査で、男系男子に限られている現在の皇位継承資格を女系・女性皇族にも広げるべきか尋ねたところ、「広げるべきだ」が69.8%だった。「広げるべきではない」は11.2%、「どちらとも言えない・分からない」は19.0%だった。
政府は女系・女性天皇に慎重な姿勢を示しているが、回答者の約7割が女系・女性天皇を容認していることが明らかになった形だ。
皇族数の減少対策となる女性宮家創設の賛否に関しても、「賛成」69.7%、「反対」10.3%、「どちらとも言えない・分からない」20.0%となった。
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むかし女性の天皇が居たのはたしかです。たとえば推古天皇は有名でしょう。彼女の父親は天皇であり、夫は異母兄でした。
彼女の後を継いだのは、先妻と夫のあいだの子です。つまり、ワンポイントリリーフであって、父系をたどれば天皇や皇太子にたどり着くかたちで、126代続いてきた例外にすぎません。
ひとつ気になるのは、江戸時代に明正天皇という女性の天皇がいました。父親は後水尾天皇で、母親は徳川秀忠の娘(東福門院)です。「皇子が生まれるまで」のつなぎとして、天皇に擁立されます。結局、東福門院が生んだ男児はいずれも早世し、徳川幕府は皇室の外戚となることに失敗するのです。
しれっと女系天皇容認の世論だと書かれていることに注意すべきです。マスコミによる世論誘導に満足し、政財界の大物はみな馬鹿な国民だと喜んでいることでしょう。息子や孫を天皇のムコに押し込めば、生まれた子供の性別を問わず、いずれ平民から皇族になれるのですから。
「国民世論の総意」を後ろ盾に、堂々と皇室を乗っ取れるのです。家康ですら出来なかったことを、やれる可能性があるということ。
明治維新のさい、将軍家にかわる旗頭としてひっぱりだされたため、皇室の本旨が見えにくくなってしまっていますが、ほんらいは伝統祭祀の継承者です。皇室が乗っ取られてしまえば、神宮も三種の神器もまったく関係のないものとなってしまいます。象徴天皇制として政教分離にしばられてしまっているゆえに、逆に政治的な面だけで見るようになり、祭祀の継承者としての側面がおざなりになっているのです。
そう考えると、皇后との間に子がなく7人の側室を抱える決断をした明治天皇は、政治的な面と伝統祭祀の継承の両方をちゃんと考えてバランスをとっていたことがわかります。
血筋を絶やさないための種まき行為を否定すれば、いずれどこかで絶滅危惧種化するのはわかりきったことで、むしろこの期におよぶまで、皇室亡き後の日本と神道がどこに向かうかを議論していなかった状況が異常なのです。
かりに女系となれば、宗教的側面は断絶します。それでも政財界の大物は宗教も文化も意に介さず、平民から皇室になれるチャンスだと、喜んで工作をするでしょう。ただ、精神的な支柱になる根拠のない乗っ取られたあとの皇室が、マスコミの世論誘導だけで今後どれだけの支持を得られるか、見ものではあります。
考えてみれば、GHQの指令で皇族を大量に減らし、宮内庁長官に2代つづけてクリスチャンを送り込まれ、最悪、母方からも皇室の血があればなんとかなったのに、平民からお妃をむかえる工作に乗ってしまった。そしてなんといっても特殊な立場なのだということを国民に理解させるのではなく、本人たちが一般人に同化しようとする方向に向かってしまったことも、問題を大きくしています。そうさせられているのかもしれませんが。
世論操作を頑張っている自民党と財界の有力者に嫌悪感をおぼえます。自民党保守政党なのでしょうか?共産主義者並みの伝統破壊者の間違いでは?
赤貧が以前から言っていることですが、皇室は京都にお帰りになって政治にはノータッチの立場になるべきです。祭祀と伝統の継承者専従となれば、政治利用する輩も減るでしょう。わけのわからない連中から、お子さんが果物ナイフで脅されることもなくなるはずです。
どうも、いまのお立場は、あまりに宙ぶらりんで可哀想な気がします。

畑観音

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5日、ディーラー(福岡日産八幡インター店)に、車の定期点検に行きました。「昼から混みます」とのことだったので、開店時間ちょうどに着くよう、甘木を出ました。
新発売の軽自動車を試乗して1時間ほどつぶし、車を受け取ってもまだ午前中です。
以前から気になっていた畑観音に行ってみることにしました。
北九州市八幡西区と直方市に「畑」という地名があります。
赤貧の実家のさらに本家筋は大分県日田市にあり、ここには武内宿禰の子 波多八代宿禰がご先祖だという言い伝えがあります。
赤貧の実家から歩いて10分ほどのところにある氏神様を「ふくっちゃま」と古老が呼び習わしており、じつは福智山ではないかと赤貧はむかしから仮説をたてていました。この祠の向いている方向の先には、福智山があります。厳密にはずれていますが、一般的な神社と違い、南には向いていません。赤貧の集落を見下ろす位置のさきに、福智山があります。

カーナビを利用するときは、麓の「観音茶屋」というお店で検索するとよいでしょう。赤貧はお寺そのものを地図上から選択して目的地に設定したのですが、だいぶ外れたところに連れていかれました。

道の脇に4,5台駐車できる場所があり、そこに停めて10分ほど歩く必要があります。てっきり駐車場があるものと勘違いして車で迷い込み、バックで道路まで出る羽目になりました。赤貧の後にも1台迷い込んだ車があり、初めて来るとどこに車をとめるか迷うようです。

ちなみに、2010年まで観音茶屋の入口まで西鉄バスが走っていました。むかしは相当、参拝客も多かったのでしょう。赤貧もいちどは乗っておけばよかった……。

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車を置いて、舗装された坂を歩きはじめます。

この時点で「ほんとうにこの上に寺があるのか?」と半信半疑でしたが、舗装路を歩きはじめてまもなく、線香の匂いがどこからともなく流れてきました。線香の匂いをたよりに、坂を歩きます。

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さらに舗装路を歩くこと数分、どこにあるのか見当もつかない……。

と、周囲をきょろきょろと眺めまわしていたら「大明神」の祠を発見しました。どなたかがロウソクを灯しておられたので、その火を借り、線香をお供えします。このあと寺の敷地内に入っていくわけですが、敷地内の線香はあきらかに「毎日香」、この祠だけ違う銘柄の線香でした。管理しているかたが違うのでしょうか。

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廃屋となっている鯉料理店が2軒見えてきました。車を停めた「観音茶屋」もそうだし、この畑観音にたどり着くまでの道にも数軒、鯉料理店がありました。どうもこの一帯は、鯉料理を食わせる店が多かったようです。

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廃屋を過ぎたあたりから、いきなりお地蔵様や観音様がずらりと並ぶ空間となります。いきなり異空間に迷い込んだ感じで、心細いかぎり。熱心に拝んでいる高齢者の一団がおられたので、長居せず、まずは全体を一周しようと石段をあがりはじめます。

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庚申塚に龍神さま、白蛇さまとありがたいものが所狭しと並んでいます。どれもお供えされているコップがピカピカで水も新鮮、お賽銭をザルに入れる仕様のようで、赤貧も小銭をひとつずつ入れながら手を合わせます。

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さらに進むと奉納されたとおぼしき仏像がずらりと並んでいます。

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その先にお寺の本堂があり、瀧があります。剃髪のかたとそのお連れさん?が、バケツを川につけてなにかを洗っておられました。もう少し前にすすんで滝を撮影したかったのですが、迷惑になってはいけないので、遠目に撮影します。

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橋を渡って本堂と反対側にも、多数のお地蔵さんが奉納されています。

このお寺でいちばん気に入ったお地蔵さんたちです。どれも優しい顔をしておられます。この境地で、この世を去りたいものです。

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石段を降りる途中にも滝がありました。
多くの信仰をあつめる寺なのか、多数のかたをみかけます。意外なところですごいものに出会いました。またいずれ再訪したいと思います。