松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2024年8月9日(金)の日録。

しかし雑談のメモ(1)

きちんと筋道たててまとめる気力がないため、8月3日に知人と行った雑談の記憶にある範囲を記します。裏をとる作業を省いているため内容は保証しません。

よしりんもたまに意味が分からないことを書く。

パリ五輪の開会式でマリー・アントワネットの生首が歌う。
これが、フランスが「Liberte」と題して全世界に披露したショーなのだ。
フランス人にとって「自由」とは王妃をギロチンにかけ、貴族や聖職者たちを血祭りに挙げたことをいうのである。 

パリ五輪“生首ギロチン開会式”本当の大問題は何か?小林よしのり氏が疑問、なぜ日本の「保守」も「リベラル」も黙っているのか - まぐまぐニュース!

「パリオリンピックの開会式が物騒だったと話題です」

「ちょっとだけ見ました。笑った(笑)」

「東京オリンピックもなんだかなとは思ったけど、もうネタが尽きているんでしょうね。これなら無理してやらなきゃいいのにと(笑)
ところでよしりん的には「リベラルの本質が暴かれた!」そうです。「暴力で歴史を寸断してもよいのがリベラル」で、そういうのをありがたがるフランス人はアホだと言わんばかりです」

「ある意味、よしりんの分析も間違っちゃいないんですよ。「歴史を寸断してもいい」というより「破壊をいとわない」のがリベラルなんです。これね、政治的には民主主義、経済的には資本主義の根幹です。市場にゆだねて強いものが勝つ。同じ品質なら安いものが人気になり、同じ値段ならサービスが充実しているものが勝つ。人間の欲求を開放することで、よりよいものが残る。売れるものが残る。創造的な破壊で、社会は新たな知恵で改良されていく。それが民主主義と資本主義の根幹にあります。だから歴史的に保守であるということとは、ほんらい水と油なんです。合致しないんです。そもそも「近代」経済学は「近代」が前提で、それ以前の重商主義とか重農主義の時代は対象外ですしね」

「これを口にすると問題になることのほうが多くなってますが、要はソーシャル・ダーウィニズムですね。よしりんの言い分をまともにとると、民主主義も資本主義もアホの沙汰ということになっちゃう」

「よしりんは君主制とそれ以外の違いという点で分けられるとおもってるけど、どこの立憲君主制でいまだに王様主権で国民は下僕と定めた憲法がありますか。アフリカだったかでいまだに国内の美女を選抜して王様が品定めする祭りをやってるところがあるらしいし、津々浦々探せばあるんだろうけど、先進国にはないですよ。旧支配者をぶっ殺すところまで徹底するか、旧支配層と一族郎党を生かしてやろうと国民が温情で選択したかの違いにすぎない。
ぶっ殺して当たり前の教育を受けている者が、旧支配層に畏敬なんてするわけがないし、そうなるとああいう演出もありうるでしょうね」

「マルクスがいずれ資本主義は滅びるってやっちゃったんでそのイメージが付きまといがちだけど、ほんとうは社会主義とか左翼と言われるものほど資本主義市場に注目せざるをえないんです。乗り越えるべき相手らしいですから。なんたるかがわかってなくて乗り越えるもへちまもあったもんじゃない。資本主義から逃げられないという呪縛があって、そのうえにマル経も共産主義も成り立ってます。逆なんです」

「よしりんはフランス革命を賛美しているっていうけど、どうなんでしょうね」

「茶化してるよね。暗に」

「もし東京オリンピックで、三本足のカラスが先頭を飛んでいる九州からのお登りゲリラ集団が山越えで奇襲かけてきて、光るトビで先住民の目がくらんでいるうちに頭領ぶっ殺して土地を乗っ取って「建国」とかドローンとかCGでやってたら、同じことを書くか?という気はしますね。しかも、直接手を汚さず関係者、しかも年上にに先住民の頭領を始末させるわけですよ。王妃の首と物騒さ加減がどう違うんだって話です。
こいつがたんにリベラルに拒絶感を持ってるだけじゃないかという気がする」

リチャード・ローティとかむかし流行しましたよね」

「「哲学と自然の鏡」ですね。持ってますよ。途中で挫折したけど」

「要はあれなんです。正しい、と決めつけない、一方的に世の中はこうなるべき、とい思い込まない。とにかくみんなで考えて議論して、よりよいものを選択する努力をする。それを続けていくほかはないという話です」

「あれ読んで、逆にジョン・デューイの「学校と社会」とか「哲学の再構成」とかを見直したんですね。ああ、こういうことが言いたかったのかと」

「権威というものは、実地に応用して使えるから権威であって、時代が変わっても絶対不変というものはあり得ない、流行り廃りはぜったいにあるんです。フランス人の場合は、というかいまのフランスの教育では、たまたまその意識を獲得した起点を、王妃ギロチンに求めているからああなったわけで」

「よしりん自身はリベラルという概念を攻撃したいみたいだけど、これ、真面目にやると進歩の否定ですからね。

youtu.be

各時代の特徴を強調するために不自然な箇所が多々あります。動画では「飛鳥時代」「奈良時代」を目安として書いておきましたが、奈良時代の日常的な木簡では既に上代特殊仮名遣いが失われているので、雅語は既に言文不一致の状態にあったと見るべきでしょうから、実際には少し前の時代に対応しています。アクセントなど所々良く分からないので誤魔化しています。また最近の研究ではアクセント2.4類と2.5類の区別が意味に基づいた二次的な群化である可能性が再浮上しているようなので弥生時代後期の時点でどこまで弁別されていたかは不詳ですし、古くから指摘されているように語末 -m に由来するものも混在しているのでしょう。いわゆる母音連続のうち上昇二重母音をここでは一律で *Vr にしておきましたが、実際には流音に限らず様々な子音を挟んで *VCV からの縮約が起きているかと思われ、例えば用言語幹において **uma > *o であるとする提案は尤もらしく思われます。ついでに *m [β] あたりを想定すると「馬」がわざわざ *Nmaで借用されるのも納得できるところですが、まだよくわかりません。

弥生時代の日本語で会話 [from Pre-Proto-Japonic to Modern Japanese] - YouTube

例えば言葉だってどんどん変わっているわけです。おそらく聞いてわかるのは江戸時代くらいからです。縄文時代なんてなんかの呪文だとしかおもえない。しかもこれに方言が加わります。各地で変化形だらけなわけです。

保守は過去を尊重すると言ったって、現実に歴史が変われば言葉は変わってきた。言葉は文化の根幹です。どうやったって完全な保守はあり得ないんです。

じっさい、復古神道と言いながら祝詞はいまの言葉で書きますね。神様の時代の言葉ではなく。だって平田国学あたりからだもの。歴史が。
飛鳥時代ですら意味わからんのに、さらにふるい神様の時代から見ればいまの日本語なんて外国語とそう変わりませんよ?
祝詞って、いまの言葉とかせいぜい江戸時代の日本語で、いったい誰に伝えたくて祝詞あげて拝んでるのか、なんなんだという話です。

コース紹介|神道学科|三重県伊勢市の皇學館大学(上記は2024.08.09参照)

「学生の主体力」を学ぶって、それ、学ぶことですか。姿勢でしょ?記紀延喜式を「講読」じゃなくて「購読」とホームページの学科紹介で書いちゃうくらいだから、お察しくださいなんです。戦前ならハラキリ級のミスですよこれ。
どうやったって保守ってあり得ないんです。よしりんだってちょんまげ結って歩いてるわけじゃなかろうし。いったいなにを否定したいのか、考えてしまいますね」

「いや、だからリベラルは暴力を肯定するというマイナスイメージの刷り込みを、しれっとやるための文章ですって(笑)突っ込んではかわいそうですよ。明治維新で官軍と幕府軍で内戦したのすらこのひと棚上げして保守とリベラルを区別しようとやっきになってるんだから。この理屈なら、彼らが盲信してる明治政府はリベラルじゃないですか。錦の御旗かなんかしらんけど、引っ張り出してきて体制ぶっ壊してるんだから(笑)都合のいいところだけ切り取るなよ、ってね。こういう論調張るから自称保守って足元みられるんです」

 

9日の記録。

おはようございます。起き抜けに天井を撮影してみました。

水シャワーを浴びたら今日も朝食に焼きビーフンをつくります。玉ねぎと昨日買ったソーセージを刻んでつかいます。

さすがに野菜がこれだけ多いと焼きビーフンだけでは味があまくなるため、醤油とコショウを追加しました。そのため、だいぶ色が茶色になっています。

ひさしぶりに晩飯は外でいただきました。豚バラの味噌だれ炒めです。