過去に「神社めぐり」に掲載するため作成した文章です。現在ではリンク切れとなっている箇所や、すでに情報が古い部分もありますが、再取材はせず当時のまま掲載します(注記:2024.07.28)
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二の鳥居です。一の鳥居は通行量のある道路沿い、しかも交番前にあってうまく撮影できず断念しました。
鳥居扁額は「龍王社」です。
石田楽は、古くから雨乞い祈願として伝承されてきた太鼓踊です。
楽の構成は現在、申立て1、杖2、笛4、鉦4、うちわ2、太鼓12(うち頭楽2)の合計25人です。これは半楽の構成で、太鼓とうちわの人数が本楽(例・道原楽)の半分になっています。服装は白色を基調とし、その芸風は素朴端正です。演舞は、綿津見神社(竜王社)と下石田一丁目の六社神社(明神社)の境内で行われています。踊りの時期は不定期です。
綿津見神社という社号からすると、海と関係のある神社のような気もしますし、現地に残る文化や、ふるい扁額は「龍王社」だという点をかんがえると、またべつの性格があるようにもおもえてきます。彦山権現の山伏がタイアップして積極的に誘致した雨乞い神としての貴船信仰とも、かぶります。
小倉市 編『小倉市誌』続編,小倉市,昭15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1144286 (参照 2023-02-07)
1940年刊行の「小倉市誌」を読むと、
- 古老の伝承では、もともとこの地は海岸線に面していた。いつのころからか不明だが、海神さまが鎮座していた。
- 江戸時代細川家の治世に新田開発が活発となり、海岸線から遠のいた。
- 龍王社だった時期の御祭神は、高淤加美神+闇淤加美神である。
ということがわかります。
推測するに、もとは海神を祀るお宮だったのが、地域の開発がすすみ農耕地帯となって以降は、龍神さまに雨乞いを祈願するお宮という性格を帯びるようになり、明治の神仏判然令で社号と祭神が整理された、ということなのでしょう。
石田楽について「扮装は白装束に黒染めの腰みの、太鼓打ちは胸に締太鼓、背に「仰神威祈雨」と墨書した赤地の小幟と白幣をさす。」という市ホームページの解説文もあり、地域において農業が重視されるようになってからの文化だということが、わかります。
社殿正面です。この立派な構えをみると、これが無格社?という感じもします。
扁額も新しく、本殿や渡りの部分もきれいなのをみると、ていねいに改修・修繕が積み重ねられてきた、地域の信仰の厚さを感じます。
境内から1段高くなったところに、境内社がまとめられています。
もとからこの神社境内にあったものではなく、案内板によれば、村内各所にあったものがまとめられたことがわかります。福岡県神社誌や小倉市誌で御祭神がバリエーションに富むのは、村内のほかの祭祀もまとめた結果なのです。
しかし「荒ごろ社」がスサノオさんというのは、おどろきです。
筑後・久留米方面だと荒五郎水神とはカッパの親分に擬せられた海神豊玉彦のことですから、おなじ荒五郎でも誰が中身とかんがえるかは、地域によって違うということなのでしょう。
福岡県神社誌:下巻449頁
[社名(御祭神)]綿津見神社(罔象女神、菊理媛神、大己貴命、豊日別神、須佐之男神、高於加美神、闇淤加美神、闇御津羽神)
[社格]無格社
[住所]小倉市石田字宮山
[由緒]記載なし。
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2023.02.06訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。