過去に「神社めぐり」に掲載するため作成した文章です。現在ではリンク切れとなっている箇所や、すでに情報が古い部分もありますが、再取材はせず当時のまま掲載します(注記:2024.07.28)
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googleマップをみながら現地を訪問すると、まず古墳がみえてきました。現地で調べてみると「上ん山古墳(うえんやまこふん)」と言うそうです。
曽根平野中央部の洪積台地上に立地、全長約50mの前方後円墳。後円部径約30m・高さ約7.5m、前方部幅約31m・高さ約5.5m、採集された埴輪片などから6世紀前半の築造と推定されている。近くには陪塚らしき塚が存在するが、詳細は不明。
市指定史跡、1971(昭和46)年指定。
県指定史跡(曽根古墳群)、2012(平成24)年指定。主体部はまったく不明であり、出土遺物はないが表面採集品に埴輪片があり、墳丘形態と合わせて6世紀前半の築造に比定される。
同墳は茶昆志山古墳よりは、やや後出のものであるが、曽根平野を中心に権勢を誇った茶昆志山古墳の被葬者と同系列の古墳として重要である。
曽根古墳群 - 北九州市
全長約54メートル、後円部径約30メートル、前方部幅約44メートル、後円部高約12メートル、前方部高約10メートルで、中規模程度の墳丘である。
墳丘上は三段に築成され、基底部は後円部径より前方部幅が大きく、前方部の先端を広げている。主体部は、採土木工事の際に後円部側で横穴式石室の羨門部にあたる石材が露出したことがあり、古式の横穴式石室の形態であったものと思われる。
ほかの神社を訪問した帰りに通りかかった「茶毘志山古墳(ちゃびしやまこふん)」です。この古墳の裏手に、天疫神社と上ん山古墳があります。
大正時代の地図と現在の地図をかさねてみると、「上ん山古墳」の位置に鳥居マークがあります(当日気づかなかったのですが、卍マークの位置には観音堂があるそうです。後日再訪します)。
現地の案内板(石碑)によれば、大己貴命と少彦名命を祀る「天疫神社」です。道に背を向けて石祠だけがあります。大正時代の地図に描かれた鳥居マークの位置からすると、おそらく、古墳を文化財指定したときに山からずらして隣接地に移した可能性があります。
大正時代の地図に「潤崎」という地名があり(近くのバス停名は「潤崎団地」です)、福岡県神社誌を検索してみたものの、あてはまりそうな神社が見当たりません。企救郡誌でもみあたらないところをみると、旧社格のない地元集落の信仰対象だったのかもしれません。
福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2023.02.02訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。