松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2024年6月1日(土)の日録。

雑談のメモ(5)

きちんと筋道たててまとめる気力がないため、5月25日に知人と行った雑談の記憶にある範囲を記します。裏をとる作業を省いているため内容は保証しません。

従米媚米がなぜ「保守」なのか。

「宗主国様のご意向に従って代理統治する自民党がなぜか「保守」と認識されてるわけです。「保守」というのはほんらい伝統に帰れ、という話なわけ」

 1971年8月20日の那須御用邸での昭和天皇への御進講において、水田大蔵大臣が「ニクソンショックに伴う円高によって日本が大変なことになっております」と申し上げたところ、昭和天皇から「円切り上げを国内では非常に暗いことのように言っているが、日本円の評価が国際的に高まり、いいことであると思う。そういう明るい面を国民に知らせる必要があるのではないか。円が高くなるということは日本人の価値が高くなるという意味ではないのか。」との御下問があった。1931年11月に1ドルが2円だったものが、1932年11月には1ドルが5円にまで急激に円安になり、物価上昇で国民が苦しんだことを昭和天皇は経験していたからである。この御下問に水田は返答することができなかった。 

水田三喜男 - Wikipedia

「これ、とても有名な話ですよね。いまの国力差を念頭におくから無謀な戦争をやったアホな戦争指導者どもと言われるけれど、戦前はドル円相場はひと桁だったということはしっかり頭に入れておいていい。世界の列強として他国と伍して戦えるってのは、こういうことなんです」「「保守」を名乗っているくせに、強くならないことを望む。そりゃあ宗主国様のおひざ元で核の傘に守ってもらったほうがいいからね。ただ、それは「保守」ではない。むしろ民主党政権のほうがよっぽど保守だった。最初の威勢だけだけど(笑)」「けっきょく、保守も革新もないんだ。あるのは眉米・従米・属米か、親ロ眉中か。どっちにしても属国根性なんだよな。誰かが親分。独立独歩なんて夢のまた夢」

買いたたかれると判っていて果たして残ってくれるのか?

岸田総理は、東京都内のイベントで講演し、ASEANと連携してAI=人工知能や半導体などに関する高度デジタル人材を今後、5年間で10万人育成すること目指すと表明しました。

岸田総理「高度デジタル人材を5年で10万人育成」 ASEANと共同で | TBS NEWS DIG (1ページ)

「むかし公務員だったころ、市立高校があったわけ。そこはふるいDOSマシンがパソコン教室に座ってた。生徒の父兄から苦情がくるわけです。せめてwin2000くらい入れてくれと」「ほう」「これは異常なので教育委員会とか財政とかあちこちお願いしたんですね。するとどういう話の伝わり方をしたのか、当時の首長から呼びつけられた。「在校生の9割が市外から通っているのにそこに投資したら追い銭じゃねえか!」と言うわけ。いくらなんでもよそから遅れてるでしょ?と言ったら口げんかになりまして(笑)教育長があわてて止めにはいったのかな。まだ若いころ。結局、首長の後援会のかたが在校生の親御さんで、そこにあんたからも言うてくれとお願いしたら、しぶしぶ(首長が)首を振ったんで、市立高校の機器も全館のLAN配線もぜんぶやり直したんです」「若いころからそんな調子じゃそりゃ追い出されても無理ないな」「で、この記事読んでアホだなと思うわけ。円安ということは、日本に来たって買いたたかれるだけ。持ち出しで教育しても、日本を就労先に選んでくれるとはかぎらない。優秀な人材は、アメリカに行く。いま、中共がそうですよね。トップレベルな頭脳ほど外国に脱出している。あっちは政治的なものなんだけど。日本でかりに教育をうけた人たちでも、優秀だったら外国に行くでしょう。現代版の「からゆきさん」になったほうが儲かるんだもの」

渡米後
1958年、アメリカ国立気象局に入り、後に主任研究員になる。当時まだ貧しかった日本とは異なり、米国ではIBM製の最新コンピューターを自由に使うことができた。米国のコンピューターは同時代の日本のものより30倍以上も処理性能が高く、気象の研究のためには非常に有利であった。さらに給料を日本の25倍も与えられたことで研究に没頭できるなど、楽園のように充実した環境を得られた。

眞鍋淑郎 - Wikipedia

「ノーベル賞で、日本の研究体制に絶望して渡米し、アメリカ国籍もってるひといましたね。渡米したのは昭和20年代。絶望的に円安だった時代ですよ。自らの価値に賭けた。ああいうひとを量産する機会をつくるのは正解かどうか?」「なるほど。どうせ市外からの通学生が9割なのになんで設備投資せにゃいかんのだ!と吠えた首長と同じことをお前いうようになったってわけか」「もしこれが円高で、社会保障費けずってでも研究教育にばかすか投資するような国だったら、天国過ぎてよそから亡命してでもやってくる。逆の状態で、ええかっこしたって、国籍離脱の自由はあるわけだから、持ち逃げされかねない。カネの使い方を間違えているというか、ね。それくらいは言っていいかと」

 

1日の記録。

googleアドセンスの収益が激減したのに、広告がたいへんうざい状態が続いていました。思い切って、アドセンスの設定を変更します。トップページ下、サイドバー2カ所のみに変更しました。ずいぶんシンプルになったと思います。

背景は森林公園のつつじ、ヘッダー(タイトル部分)は、かえるの腹から高良大社の拝殿に差し替えました。

高良山登山と知人宅から戻り、玄関に貼っている大学稲荷のお守りを取り替えました。

駅前のイオン系列のお店で、値引きの天ぷら(たぶん全国的には揚げかまぼことかさつま揚げと呼ばれるもの)と麺つゆを買ってきました。以前このシリーズを買ってきてびっくりするほど酸っぱかったので、通常のめんつゆ50ccに混ぜ、200ccになるまで加水して準備します。

そうめんにかけていただきます。今日も貧しみのつよい晩飯ですが、まぁ、人生終わってますからこんなものでしょう(笑)むしろこれでも贅沢かもしれません。

 

高良山に登る。(026)

今日も高良山に登ります。

今日はびっくりするほど話しかけられた一日でした。

竹の子バス停からいつもの後谷登山口に向かいます。ハイカーさんがたの車が数台停まっています。私はぜんぜん他人の顔を覚えていないのですが、どうやら誰が見ても目につくらしく「今日もですか~」と声をかけられます。

最近、ここの公衆トイレを利用する機会が増えました。入山してくる前に出せるものは棄てておけ、ということでしょうか。

林道に合流し、まず奥宮を目指します。

今日もひっきりなしに参拝のかたが訪れていました。汗がひくまでベンチに腰掛けていると、3本鍬を持った男性とその奥さんらしき二人連れに遭遇しました。奥さんのほうはどうやら奥宮に水をもらいに来たようでした。数年前に来たときはもっと水があったと話していたので、「先月も来ましたけど、最近水が少なめですよ」と話しかけます。どうやら男性のほうはミミズを探しているそうで、さきに森林公園にも行ったがみかけないとのこと。雨が降った日じゃないとこの辺りでミミズは見ないという話をします。

私が先日お供えした線香はひっこめられており、なんと鳩居堂の高額線香が最前列に置かれています。私も遠慮なく献香させていただきました。

とにかく少しでも涼しいところに行こうと、高良山山頂に向かいます。

山頂を示す標識のほか、ここにむかし毘沙門岳城という城がありました。

玉垂命の本地仏は毘沙門天とされていたことから、高良山は毘沙門岳と呼ばれ、そこに在る城は、毘沙門岳城というわけです。

ここでも先に休憩してお弁当を食っていた年配の方と話す機会がありました。ここであれこれ書くのはひかえますが、子や孫を思っていろいろとされていることを伺います。世のなか立派なかたがいると思うことしきりです。

とはいえ、あんまりここで時間を食ってしまうと、高良山茶屋でうどんにありつけなくなります。お暇乞いをして、さきに休憩所へ下りてくことにしました。

今日も猫はテーブルの上や床でへばっています。自販機で買ったアクエリアスと、持参したゼリーで休憩です。いつもなら「あんたらが食えるもんは持ってない」と言えば寄ってこないのですが、2匹がまとわりついてきます。頭をなでてもじっとしていたので、顔を覚えられたか、よほど暑さにまいっているのか、どちらかでしょう。

市恵比須社は、もともと麓の府中(今の御井町)で祀っていたものを高良大社境内に移設したものです。麓の旧地名が「府中」でピンとくるかたも居るでしょうが、筑後国府はもともと高良大社(玉垂宮)の麓にありました。同じく麓に磐井という地名もあるわけで、筑紫君磐井って要はここのことなのですが、玉垂命は物部氏の出自であることを秘すべしとされた神秘書の中身を考えると、畿内発祥の「日本」に最初から従順だったわけではなく、負けて従うことになったという点のみが真実なのでしょう。

それにしても今日はなぜ紙垂が赤いのでしょうか?

毎年6月1日・2日に行われる、高良大社川渡祭(かわたりさい)、通称「へこかきまつり」として親しまれています。
数え年7歳の男女や、還暦・厄年の方々が厄除け・無病息災を願うお祭りです。厄除けの赤い「へこ(褌)」を「かく(着ける)」ことから、「へこかきまつり」と呼ばれるようになりました。
高良大社社殿前に設けられた「茅の輪」をくぐり、ご祈願を受けると、災難を逃れ、災いは福に転じると言い伝えられています。還暦・厄年にかかわらず、どなたでも参加できます。
6月1日には「へこかき裸参り」が行われます。味水御井神社での神事後、男性は赤い褌姿、女性は短パンや白衣などで、高良大社までの約3kmを駆け上ります。そのあと午前7時から、今年最初の「茅の輪くぐり」神事が行われます。 

高良大社川渡祭(へこかき祭り) | 久留米のイベント | 久留米公式観光サイト ほとめきの街

社殿前の茅の輪やほかの造作をみて「今日はへこかき祭りの日だった」とやっと気づきます。6月1日だということを忘れていました。

多数のかたが「はらえたまえきよめたまえ」と唱和しながら、神職の先導にあわせて茅の輪くぐりを行っておられました。パッと来てさすがにあのなかに混じる度胸もなく、今日は拝殿前からのお参りは見送ります。

高良山茶屋 望郷亭 - 御井/うどん | 食べログ

14時を過ぎてしまいましたが、昼飯に今日も肉うどんとお稲荷さんをいただきます。

 

金明竹林の横、旧車道から神籠石コースに合流し、即心上人墓の横を抜けて大学稲荷神社に向かいます。

大学稲荷神社にたどり着きました。

1日参り(朔日参り)というのがお稲荷さんにあるのかどうかはわかりませんが、県外ナンバーの親子(たぶん)が、拝殿のなかで相談されていました。(たぶん)息子さんが、ほかの用件も立て込んでいるから帰ろうと主張され、(たぶん)母親は奥宮にも行くと主張されています。

じっと待っていても仕方がないので、さきに俗に小学稲荷と呼ばれている元宮(下宮)のほうに向かいます。

戻ると(たぶん)親子連れのかたが、車に乗り込んで帰るところでした。

久しぶりに拝殿にあがり、お守りをひとついただいて帰ることにしました。

南谷水門の手前で、道をふさいている倒木がありました。

おそらく落雷で途中から折れた杉の木の下敷きになり根っこが浮き上がっているにもかかわらず、新芽がでています。完全に根っこが死んではいないということなのでしょう。植物のたくましさを感じます。

高良下宮社で本日の安全を感謝し、電車で甘木に帰宅しました。

今日は6.5km歩きました。