隔世の感というかどうなってんだ?
LEDの方向表示機が、カラーです。
びっくりしました。
LED行先表示器の採用は、2003年12月より桧原営業所の15台で試験運行を開始し、2004年12月より大型車への本格採用が決定した。方向幕では行き先方面別に色が違うカラー幕を使用していたが、LEDでカラー表示をすると色によっては前照灯や尾灯、方向指示器などと紛らわしいとして、道路運送車両法第3章および道路運送車両の保安基準(昭和26年7月28日運輸省令第67号)第42条に抵触する可能性があるため、前面のLEDを運転席側にオフセット設置し、空いたスペースに色だけの幕を表示するようにした。
20年前に西鉄さんがカラーLEDを導入しようとしたことがあります。wikiに記載されているのは当時の九州運輸局の指導内容で、カラーLED化を断念し、LEDで表示する文字部分と、行先方面ごとのカラー表示を別に組み合わせる形式を採用していました。
現在はこのテの特別仕様すらやめてしまいましたが、当時のあの騒動はなんだったのか……という気分です。
20年経ってますから、解釈も変わるというか、カラーLEDだけ目の敵にしても仕方がないということになったのか……。
まさか観光都市KYOTOだからOKとかじゃないですよね?
京都「市」交通局だからOKとかじゃないですよね?
高良山に登る。(029)
今日も高良山に登ります。29回目です。
今回は少々趣向をかえて、まず山川招魂社にお参りすることにしました。
久留米大学前バス停で路線バスを下り、山川招魂社に向かいます。
ここ御井町は、明治以前は「府中」と言いました。府中の名のとおり、筑後国府があった場所です。江戸時代に久留米城が築城され町の中心はそちらに移りましたが、高良山(玉垂宮)の麓に町がひろがり、列石(神籠石)が城塞のまわりを取り囲んでいました。その一部には「磐井」の地名があり、のちに城塞は玉垂宮という宗教施設となり、いまの高良大社にもその一部が残っています。
私が学生のころ住んだアパートがあった付近までやってきました。
県道の付け替え工事で跡形もありません。
アンダーパスするために掘りぬいた土地のどこらへんだったかも、厳密にはわからなくなっています。ただ、私が住んでいた当時からある旧宅(空き家)が2軒のこっており、空き家との位置関係からすると、県道に架橋されたこの市道沿いあたりなのは、間違いありません。
山川招魂社に到着しました。
久留米市山川町 山川護国神社(山川招魂社) - 松村かえるの「かえるのねどこ」
山川招魂社は3年前に訪問しています。御井町誌等による説明の抜粋など、くわしくは当時の文章をご覧いただきたいと思います。
爆弾三勇士(ばくだんさんゆうし)とは、独立工兵第18大隊(久留米)の江下武二(えした たけじ)、北川丞(きたがわ すすむ)、作江伊之助(さくえ いのすけ)の3名の一等兵である。1932年に第一次上海事変で敵陣を突破して自爆し、突撃路を開いた英雄とされる。肉弾三勇士とも言われた。
(略)
事件の直後2月24日には『東京朝日新聞』で「「帝国万歳」と叫んで吾身は木端微塵」、25日に『西部毎日新聞』で「忠烈まさに粉骨砕身」、『大阪朝日新聞』で「葉隠れ主義の露堂々」など、美談として広く報道され反響をよび、壮烈無比の勇士としてその武功を称えられた。
爆弾三勇士の碑があります。私の曾祖父は明治生まれ、祖父母は大正生まれで、すこしでも弱音を吐くと、だいたいこの爆弾三勇士の話を説教されたものです。場合によっては「爆弾抱えて敵陣突っ込むほうがもっと痛いんだ。死ぬんだ。こんな怪我で泣くな!きさま男か!」と、突き指した手を叩かれもしました。
暴力的な時代でした。
招魂社の社殿と陸軍墓地で手を合わせます。
高速道路のアンダーパスをくぐり、磐井城跡のお堂に来ました。山中での安全をお願いして、ここから吉見岳コースで高良山をめざします。
琴平神社にお参りします。
日曜日のせいか、高良大社の駐車場はいっぱいです。そしてハイキング客もたくさん見かけます。吉見岳コースでまったくひとに会わなかったのにこれだけひとが居るということは、本来の参道か、車道を歩いてここにやってきた面々でしょうか。
混んだ境内に向かってもしかたがないので、さきにつつじ公園の休憩所まで歩きました。
ここもバナナやお菓子をつまんでいるハイキング客にテーブルが占拠されており、猫たちは中に居場所がなく、休憩所の外で寝転んでいます。
自販機でコーラを買って、離れた場所にある東屋に退避しました。
タオルを絞ると汗がしたたります。昨日よりかは風があるぶんマシですが、それでも暑い……。
奥宮もひっきりなしに参拝客がやってきます。少し遠めの位置から撮影してみました。
安い線香箱は、おそらく私のほか2,3名が奉納されている感じでしたが、ろうそくはどうなっているか不明でした。今日、紙袋いっぱいろうそくを買って納めたひとがおられ、皆がみな線香箱ばかり持ってきているというわけではないことに、いまさらながら気づきます。
奥宮から高良大社まで戻り、お参りします。パッと見てお客さんの数は、さきほどの半分くらいでしょうか。
今日は高良山茶屋で、肉うどんとお稲荷さんをいただくことができました。
さきを急ぎますので、久しぶりに正規の参道を下ることにします。この参道を私があまり利用しないのは、岩盤というか磐座をけずっただけのむき出しになった部分が複数あり、濡れているとすべって歩きにくいためです。
ゴム底の軽登山靴で歩きにくいのですから、下駄やわらじではいったいどうだったかと考えてしまいます。
もしかすると私同様、現在は登山路で残る岩盤や磐座がむき出しになっていないほかの道を利用していたかもしれません。
放生池にたどり着きました。麓の御井町バス停から西鉄久留米行の路線バスが12時5分発です。30分で鯉に給餌をしないといけません。
境内の自販機で買った麦茶をいただきながら、昨日買って準備しておいた麩を、リュックから取り出します。
2つずつ麩を投げ込みます。最初は気づかず素通りしていたのが、一匹が食いつくとほかも群がり、どこにこんなに居たのかと驚くほど集まってきました。
最初数分だけ麩の分捕り合戦に亀も参加していましたが、麩が大きくて口に入りません。争奪戦をしり目に、元いた場所に帰っていきました。
今日は6.7km歩きました。
路線バスで西鉄久留米駅まで戻り、別件があるためここで昼飯を食っておこうと思い、大龍ラーメンに入りました。
チャーシューメンはあいかわらずの味がします。
以下、未成年者の閲覧を禁じます。
どこの世界にもバカはいる。
増えた。15本見たわ https://t.co/PpWxjm7C1N
— 麻倉瑞季 (@mizuki_asakura_) 2024年6月12日
このお嬢さん漫画誌のグラビアで見たことあるなぁ、と思いつつ、ネットニュースの記事で紹介されているのをみて失礼ですが笑ってしまいました。ち◎この画像とか送り付けるバカいるんですね……。犯罪行為で捕まりたいのでしょうか?
どうされたいの? pic.twitter.com/VKoC19hci8
— 麻倉瑞季 (@mizuki_asakura_) 2023年9月29日
とはいえ、このお嬢さんの投稿も過激です。
馬乗りになってください、とおねだりしそうになります。
私は彼女の足下に身を投げ、跪ひざまずいて云いました。
「よ、なぜ黙っている! 何とか云ってくれ! 否いやなら己を殺してくれ!」
「気違い!」
「気違いで悪いか」
「誰がそんな気違いを、相手になんかしてやるもんか」
「じゃあ己を馬にしてくれ、いつかのように己の背中へ乗っかってくれ、どうしても否ならそれだけでもいい!」
私はそう云って、そこへ四つン這ばいになりました。
一瞬間、ナオミは私が事実発狂したかと思ったようでした。彼女の顔はその時一層、どす黒いまでに真っ青になり、瞳を据えて私を見ている眼の中には、殆ほとんど恐怖に近いものがありました。が、忽たちまち彼女は猛然として、図太い、大胆な表情を湛たたえ、どしんと私の背中の上へ跨またがりながら、
「さ、これでいいか」
と、男のような口調で云いました。
「うん、それでいい」
「これから何でも云うことを聴くか」
「うん、聴く」
「あたしが要るだけ、いくらでもお金を出すか」
「出す」
「あたしに好きな事をさせるか、一々干渉なんかしないか」
「しない」
「あたしのことを『ナオミ』なんて呼びつけにしないで、『ナオミさん』と呼ぶか」
「呼ぶ」
「きっとか」
「きっと」
「よし、じゃあ馬でなく、人間扱いにして上げる、可哀かわいそうだから。―――」
そして私とナオミとは、シャボンだらけになりました。………
谷崎潤一郎の「痴人の愛」のほぼラスト部分です。この世界ですよね。たぶん。