松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2024年6月17日(月)の日録。

献血が少ないなら売血を認めればいいじゃない。

病気やけがの治療に使われる輸血用血液や血液製剤。その安定的な供給に欠かせない献血が苦境に立たされている。30代以下の献血者数は、ここ20年で半分以下に減少。このままでは、将来、さらに厳しい状況に陥りかねないという。かくいう私も、実は最近まで献血未経験だったが、現場を訪ねると、「若者の献血離れ」の原因は少子化だけではないことが見えてきた。 

20年で半減?止まらない「献血離れ」◆30代以下、少子化だけでない理由【時事ドットコム取材班】:時事ドットコム

献血が少ないそうです。輸血用血液が足らないとのこと。

「献血とか行かれてますか?」と質問されたので「若いころ献血に行ったら「高脂血症でつかえない。まず病院行け」という通知か何かが届いて、それきり言っていない」と返事をしました。いちど「要らない」って言われたら、わざわざボランティアする気にはなれません。

献血は「定期的に血を抜くことで造血がうながされ健康になる」と信じているひとは根強く存在しますから、私が行かなくてもべつにいいだろうと思っていたら、足らないそうなのです。

売血を認めればいいのに、と思います。

こうして日本赤十字社は、無償で血液を提供してもらう献血を健康な人に呼び掛けました。
しかし、相前後して生まれた民間の商業血液銀行が、当時の経済的不況の荒波にもまれていた一部の人々から血液を買っていたために、献血者は極端に減ってしまいました。1952年(昭和27年) 949人、翌年1,614人、それが1958年(昭和33年)には254人になってしまったのです。

(略)

政府は1964年(昭和39年)8月21日、「献血の推進について」(政府は、血液事業の現状にかんがみ、可及的速やかに保存血液を献血により確保する体制を確立するため、国及び地方公共団体による献血思想の普及と献血の組織化を図るとともに、日本赤十字社または地方公共団体による献血受入れ体制の整備を推進するものとする。)を閣議で決定したのです。こうして、赤十字血液センターが各地に開設されていき、献血の受け入れ体制は急速に充実していきました。
以来、献血は年を追うごとに増えていき、1968年(昭和43年)には、民間血液銀行の買血による保存血液はすっかり影を潜めました。

血液事業の歴史|大阪府赤十字血液センター|日本赤十字社

これ、表現はマイルドですが、献血と競合した民間売血を政治力でぶっ潰したと言っているわけです。たしかに品質に問題があるものが流通してはお話にならないわけでそれは認めなければなりませんが、カネにするというわかりやすい動機を封じたのはどうなのでしょうか。

大金投じたわりに悪評高いマイナンバーカードを情報管理に活用するとか、当時とは比べ物にならないほど高レベルな検査機器があるわけですから、インセンティブとして現金や電子マネーのポイントとかそういうのを打ち出すだけで、一気に改善しそうなものですけどね……。

ただ、アホなyoutuberやbloggerが「限界まで血を抜いて10万もって焼肉行った(/・ω・)/わーい!」とか「血を売ったカネ貯めて(大人向け遊園地とか特殊浴場とか言われるところ)で散財した(/・ω・)/いえーい!」とか、馬鹿なことやって炎上して、すぐ政治家が騒いだり……するんでしょうね。さきが見えているのでひかえめに主張しておきます。

 

17日の記録。

今日も日記の下書きを書きながら、貧しみにみちた朝食と昼弁当を準備します。

天気予報では今日は夕方から雨でした。そのため自転車に乗らず歩いて事業所まで通ったのですが、帰り、パラパラと数滴雨粒が落ちてくるくらいです。iPhoneで天気予報を確認すると、じつにうまいこと雲が避けてくれています。

そうめんよりひやむぎのほうが美味く感じたこともあり、ためしに
ゆで時間6分の「ざるうどん
ゆで時間8分の「神埼うどん」
ゆで時間12分の「讃岐うどん
も買ってきました。
ぜんぶ開封すると湿気がくるので、とりあえず「讃岐うどん」から食いはじめていますが、美味いです。12分のところ14分ゆでて水道水でぬめりを洗い流し、わかめを具にふつうにうどんにしていただきました。

駅前のイオン系列のお店で「白身魚の切り落とし」なるものを売っていました。原材料名をみると「パンガシウス」とあります。ナマズの一種だそうです。こちらは片栗粉をまぶしてフライパンで焼き、ウスターソースをかけていただくことにします。

なんとか今日も晩飯にありつくことができました。ありがたや。