まぁ、しょうじきなところ。
ここ最近ブログの巡回をまったくできていませんでした。
ひさしぶりにあちこちのぞいていると、こんな記事がありました。
H&M、制服姿の女児の広告を撤回 ⇒ 目立った抗議理由は「性的表現」よりも「ルッキズム助長」だった(オーストラリア)
まぁ、テレビも見ないしなにが起きているかもほとんどわからない状況ですので知らなかったのですが、こういう問題が起きていたようです。
この記事を読んで思うのは、宣伝とかポスターはどうしても目立つために「攻める」必要があります。きわどいところをねらわないと目に留めてもらえません。
私が中高生くらいのころ、はっきり言って児童ポルノ規制なんて雑もいいところでした(児童ポルノ規制法が出来たのは1999年です)。当時は「毛があるかないか」が判断の基準でした。若いヌードモデルさんに剃毛(脱毛)させて恥丘露出なんて当たり前(いまは最低でも布やヒモで線は隠します)、おカネを出せばそこらで売っていてかんたんに手にはいった時代です。
男性グラビア誌を他のタレントさん目当てで買ってパラパラめくればそういうモデルさんに遭遇する事態すら、ありえました。
これ。わざわざ剃毛(脱毛)させてモデル起用するなら、最初からもっと若いかたを起用すれば、さらに売れる(潜在市場が存在する)と、儲けたい側が気づくのに時間はかかりません。さすがに大手出版社でこの領域に足を踏み入れたところは記憶にありませんが、中小零細がコンビニなどに配架するようになります。
出版社が子会社をつくり、ぱっと見は本体と無関係のように見せかけて、こういう雑誌を出版する手口も、横行していた時代です(本体のイメージダウンを避けつつ、おカネは欲しい)。
いわゆる「お菓子系雑誌」にはそういうものも含まれていました。
「罰ゲーム」として買いに行かされることもありました。むかしからエログロナンセンスと矢追純一UFO特番は馬鹿馬鹿しいが話のネタになり盛り上がるなにかだったのです。
たとえ嫌でも買ったものは元をとるためぜんぶ読みます(見ます)から、恐ろしい・気持ち悪い世界だと知ることになります。
いわゆる「トラウマ」というやつです。
ランドセル背負って小学校低学年っぽく装ったのかほんとうに義務教育期間中なのかわからないモデルさんが大人の男性と「いやらしくいちゃついている」姿を連想させるものとか、記憶の片隅にもまったくないと言い切れる男性は、私の前後の世代にはあまり居ないのではないかと思います。
このとき、ビックリするほど多用されたのは「ピンク」。あとはいわゆる「パステルカラー」です。
ここまで書くとピンとくるでしょう。
広告宣伝した側も、人目をひくようあえて攻めています。興味本位ではぐって「うっわ、きもちわるーーー(>_<)いやーーん!」と思った方から、顔をしかめて抗議するひとがでてくるのも計算のうえ、騒動込みの広告効果を狙ったのかな?とすら思えます。
「トヨタ初の量産V6エンジンを搭載車がこれだ!」カムリV6プロミネントに乗ってみた | web option(ウェブ オプション)
児童ポルノ規制前のお菓子系ヌードが氾濫するのとほぼ同じころは(と言っても10年くらいの差はありますが)、大人を演出するため濃い赤(ワインレッド系)が多用されていた時期でもあります。
同じ赤でもパステルピンクとガーネットやワインレッドでずいぶん与えるイメージが違うとすでに判っている(当時の工業デザイナーさん「ですら」パステルピンクを背伸びしたい女性向けの化粧品や車の内装に使っていない)のだから、ピンクをもう少し暗めの赤で狙うこともできたはずです。
ただ、そうすると、面白くありません。攻めの要素がなくなるからです。
ドキリとさせなくなったら、広告は失敗です。
たまたま児童ポルノ規制前のどぎつい時代を思い出して「うへぇ」と感じる者もいるだろうし、この評論家のようにルッキズムという指摘をするひともいるでしょう。私ははっきり言って鈍感ですが、ルッキズムへの「攻め」も、このポスターは内在しているのでしょう。
みんな大好きダメリカさんにかぎらず、50年ほど前までみてくれの悪いひとや障害者や病人さんを閉じ込めたり隔離したりという歴史があり、逆に美男美女はそれだけで恵まれるという主張があるのは承知していますが、おそらくこの評論家はそういうお話ではなく、もっと具体的ななにか引き金を感じ取って抗議されたようにも思えるのです。
ここまで書くと「ん?これオーストラリアの話なのになんで日本目線なん?馬鹿だろこいつ」というかたも居るでしょうが、もともと「児童の権利に関する条約」で「児童は18歳未満」と定義されており、オーストラリアも日本も批准しています。世界的には18歳から大人というわけです。
ちなみにダメリカさんは批准していません。