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コンクリート造の石段のさきに、金比羅宮があります。
扁額のなかだけ作り直した跡があります。
お宮の正面向かって左手には、お地蔵さん?のお堂があります。
画像手前は「石灰山元祖細石伴吉碑」です。
石灰山元祖細石伴吉碑
安政5年(1858年)肥後天草の惣右衛門は、浦中海岸の石灰岩を見て「これを焼けば、いい肥料になる」と村人に説いたところ、恒見村の細石謙吉が興味を示し、水田の肥料として実験したところ良い結果がでました。謙吉は、これを事業とするため、天草に渡り採石方法や石灰製造方法を学び、安政6年石灰製造所を浦中に開設しました。明治8年、謙吉が亡くなると息子伴吉が跡を継ぎ、石灰石採石業開発やセメント製造開発まで尽力したため、「石灰山元祖」と言われるようになった。また、販路拡大も行い、恒見石灰石採掘事業隆盛の基となった。
じつはこういう記述もあります。
細石伴吉は長崎で石灰製造法を研究した後、故郷で石灰の採石・製造業を始め、石灰製造の始とされる人物である。
天草上島の姫戸(現在は上天草市)が石灰で有名ですから、おそらく天草が正解じゃないかな?とはおもうのですが……。
少し樹木がかぶっていますが、鳥居と参道のさきに海を見渡すことができます。
福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2023.01.19訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。