氏子とは誰のことか。
地元町内会で管理しているお宮があります。
福岡県神社誌にも無格社として掲載があり、地域に商店が建ち並び繁栄していた戦前、社殿改築して修繕を続けながら、いまに至ります。
年2回、お賽銭箱をあけて小銭を数えるのですが、年々奉納額が増えています。私が関わりはじめたころは年間でも4万ほどでしたが、とうとう半年で10万近くまできました。
とはいえ、小銭が増えると郵便局から差し引かれる取扱手数料も増えます。約3,800枚で4,400円。意外と馬鹿になりません。あらためて金種ごとに眺めてみて思うのは、10円玉と100円玉が基準になっているということです。
1円5円は、私もそうですが財布の小銭をまとめて引っ掴み、高額貨幣だけ財布に戻してジャラジャラと賽銭箱に入れるタイプでしょう。小銭であってもありがたいお心に感謝するほかありませんが、あまり少額貨幣ばかりになると取扱手数料でほぼ食いつぶされるため、頭が痛い問題です。
このお賽銭、あくまでも信仰心にもとづいて、自らの懐具合と相談しつつ自発的に納めていただけるものなので、これで揉めることはありません
また、この町内会で管理している無格社の場合、お賽銭全額を修繕積立会計に入金しています。この通帳からは(1)建物や境内の修繕費用(2)この無格社が持つ宗教法人格の役員変更登記にかかる費用の2つしか支出していませんので、お賽銭は神社そのものの(物理的・法的な)運営・維持に使われているとはっきり説明することができます。
これ、私が引きずり込まれる前からそうで、しかも関係書類はきちんと20年分くらい保存されていました。
この神社そのものを維持するための会計と、町内会が氏子として行う祭礼にかかる費用は、当然、別建てです。この両者を一緒くたにするということは、あり得ません。
問題は、お賽銭だけではまったく足らず、修繕積立金を各戸からいただいていることにあります(全戸の合計で年20万)。このとき若いかたにかぎらず、他の宗教関係者はじめ「氏子」という概念に疑問を持ち協力いただけないかたがおられます。
明治政府は、明治4年7月4日(1871年8月19日)に太政官布告第三二二号「大小神社氏子取調」を発布し、氏子調を開始する。氏子調は同法令によって郷社とされた神社の氏子となることを義務付けるもので、宗教政策の側面と同時に、戸籍や身分証明の側面を持つ。
これ、無理もないことで、いまの国家神道(神社本庁教)が主張する氏子とは、明治4年に発布された「氏子調」から来ています。つまり各神社に担当エリアをもうけて、そこに住んでいれば強制的にそこの神社の氏子だとしたわけです(そのため、国家神道(神社本庁教)には氏子区域という概念があります)。
もともと共通の祖先(祖神)を崇拝する集団が氏族であり、氏神・氏子だったわけですが、その単語だけ借りて、別物としたわけです。だから(この系譜にだいぶ疑問をもっていますが)実家のさらに本家筋のように羽田八代宿禰を祖として幕府に届け出て代官所で働いていた者の末裔も、ご近所の風浪宮の神職の末裔もたまたま同じところに住んでいれば、菅公が氏神ということになります。武内宿禰や安曇氏(志賀大明神)の(うちの本家はたぶん自称ですが)末裔がなんで菅公を祖神として崇めるのか?住んだ地域にせっかくあるお宮と縁があった以上、なるべく丁重には扱いますが、(うちの本家はたぶん自称ですが)ルーツより優先するということはないでしょう。こういう無茶苦茶を当然として言う神経が、私が国家神道(神社本庁教)に不信感をもつ第一です*1。
この氏子調、いろいろ調べればわかりますが、無格社どころか旧県社クラスでも氏子区域の設定がない神社があります。また、与えらえた区域がそれまでの信仰圏よりはるかに小さく、図体を維持できず旧県社・郷社クラスでも戦前のうちに神職(社家)が離れたところもあります*2。1,500以上神社めぐりしていて、何回「たったこれだけの家でこの建物を維持せにゃならんのか。負担がキツくて仕方がない。しょうじきうらめしい。よそがうらやましい」と悔やむ声をきいたことか……。
氏子区域というのは、国家神道(神社本庁教)が勝手に線引きして定めたルールであり、べつに法的な強制力があるものではありません。そのわりに国家神道(神社本庁教)が「常識」として通知してきます。
或る宗教の関係者が神社の負担金なんて払うわけもなく、そもそもそこの宗教が神道に否定的な立場をとっていると知っていても(そういうのを除外して計算してよと訴えても)、戸数割で割り当てを減じることはありません。
自らへの上納を税金かなにかと勘違いするのは国家神道(神社本庁教)の勝手ですが、うっかりうのみにしてその手先となりまじめに取り立て、隣県で裁判になった町内会があるにもかかわらず、堂々とやられちゃたまったものではありません。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~gaou/cgi-bin/mondou/html/013926.html
裁判の状況は上記の掲示板記事が伝えています。
判例時報1789号113頁
佐賀地判平成14年4月12日
自治会費に含まれる特定宗教費(神社関係費)の支払を拒絶した自治会員に対して、自治会員としての取扱をしなかった自治会の行為は、神社神道を信仰しない自治会員の信教の自由を侵害し違法であるとして、自治会員の地位確認請求が認容されたが、不法行為による慰謝料請求は棄却された事例
神社関係予算だけ未納は認めないので町内会から出ていけ、ごみ捨て場も使わせない回覧板もまわさない村八分をしても、不法行為には当たらないというわけで「神社への信仰強制にあたる部分は違憲なので町内会からの追放は不当だが」「みんなやってることだし過去の村八分について慰謝料請求はみとめない町内会にはおとがめはない」という判決です。
これ、国家神道(神社本庁教)側は勝訴ととらえており(そりゃあいじめても慰謝料請求はないんだから、末端は頑張っていじめぬいてお前らの手を汚して一円でも盗ってこいと言ってるのと同じ)、893と大差なく、この発想がすでに理解を超越しています*3。
しかもそこまで頑張ってやっても、漏れ伝わるのはろくでもない話ばかり……。
29日の記録。
1月に入ってからオープンしたお店に、平日常勤している事業所のかたと一緒にお昼にうかがいました。
もともとここは持ち帰り弁当店だったためか、入口が不思議な位置にあります。建物をリフォームし、カウンターだったところに持ち帰り総菜を並べ、厨房だったスペースの一部に机と椅子を並べてランチ用のイートインコーナーに改装しています。
事前に評判をきいていたチャーシュー丼です。
チャーシューはラーメン屋の煮豚で、塩気がマイルドになるよう機械でホイップした卵白(要はメレンゲ)や卵黄といっしょに混ぜて、いただきます。
チャーシュー丼の出来はわるくありません。美味いです。
ただ、これだけ立派な煮豚なら、チャーシュー麺でいただきたいなぁ……。スープといい、チャーシューの味付けといい、どこかラーメン屋のほうがしっくりくる気もします。
どの道がまだ未踏なのかを調べる。
けっこう行ったようで、高良山登山はまだ折り返しにも達していません。
iPhoneの「スーパー地形」アプリに残っている、2020年以降高良山に登ったときのGPSデータをすべて重ね、歩いていない道をさがします(同じ道ばかり歩いても日記のネタになりません……)。竹の子コース付近にいくつかまだ残っている(黄色の〇)ようで、次回は、この辺りを中心に歩いてみたいとおもいます。
*1:もう少し付け加えると「氏子」「崇敬者」が「祖先と子孫(うちの子)か、そうでないか(よその子)」の関係から「国家神道(神社本庁教)の定めるエリア内かエリア外か」に変質した瞬間でもあります。この無茶苦茶を強制的に合理化する言い訳が「地元の神社をつうじて全国民(皇民)が(伊勢にある神宮の)内宮を拝んでいる(内宮が総氏神)」というやつで、(自分たちの権力の後ろ盾である)皇室の権威を強化するため「八百万の神々」とか言いつつ、なぜか神の世界に序列と格差を持ち込みます。
*2:与えられたエリアで食えない神社は積極的に「崇敬会」を組織し、それを第2の基盤としてきました。実質的な「信仰圏」の復活です
*3:逆に学生は大学で、神社関係の支払拒絶を理由に町内会からの追放は違憲だ、という点を中心に習います。要はよくないけど慰謝料請求まで出来ないよ、という判断を「違憲だからこういうことはしないようにしよう」と教えるか「罰則ないんだったら末端の連中に手を汚させろ」と考えるか、立場でがらりと変わる好例です。掲示板記事は、その場に居合わせた困惑をしっかり伝えています