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今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)|Leaflet版
戦前の地図と現在の地理院地図を見比べてみると、嘉麻市泉河内地区の瀬畑集落に、鳥居マークがあるのがわかります。すでに現在の地図には存在しませんが、行けばなにか遺構があるかもしれません。現地へ向かいます。
何度も通ったカーブなのに、コンクリート製の階段があるのに初めて気づきました。
しかもうっすらと黒い建物が見えています。
ブロックを積み上げてつくったお宮がありました。正面右脇に、塚があります。まさか昔、ここに土葬してたんじゃあるまいな……。そんなことを考えながら、お宮のなかに入ってみました。
祭壇部分の配列でいけば、中央の2人が最も位が高く、右の御神体、そして左の「瀬畑の氏神様」という順になります。
瀬畑集落は、すでに常時居住している住人は居ないはずです。農作業のため、筑前町などから子孫のかたが通いでやってくるだけだったはずで、誰かをつかまえようにも、集落に人の姿はありません。
壁を見上げていると、棟札らしきものがありました。よくよく見ると「山の神神社」とあります。すると中央は大山祗?あれ?2柱おられます。
棟札を眺めていて「瀬尾」姓ばかりなのに気づきました。すっかり忘れていましたが、この瀬畑集落は瀬尾さんだらけの集落なのです。
「瀬尾」(せお / せのう / せのお)さんの名字の由来、語源、分布。 - 日本姓氏語源辞典・人名力
鳥取県米子市美吉では大阪府西南部(旧:和泉国)の出で山口県下関市で1185年(元暦2年・寿永4年)にあった壇ノ浦の戦いに敗北した平家方の瀬尾氏が帰農したと伝える。
おそらくこの泉河内地区瀬畑集落の瀬尾さんも、平家の落人ではないでしょうか。
すると、中央の二人は安徳天皇と二位の尼、正面向かって右手が大山祗、左手が氏神様ということになろうかと思います。
境内にある塚は、もしかすると落ち延びたお侍さんのお墓なのかもしれません。
福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.06.27訪問)