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福岡県神社誌の無格社と村社のそれぞれに記載があります。1933年(昭和8年)村社指定とのことですので、おそらく、資料が混じったのでしょう。
福岡県神社誌の「由緒」欄を整理してみます。
(1)天疫神社本体の創建は不詳
(2)1880年(明治13年)6月に以下を合併。
・小字「長谷」の「竈神祠」
・小字「疫神」の「五穀神祠」
(3)1907年(明治40年)に以下を合併。
・小字「熊本」の「大日神社(祭神 大日霊女命)」
(4)1909年(明治42年)に以下を合併。
・小字「笠松」の「五穀神社(祭神 天津日高日子番能邇邇藝命、稚産霊神、宇迦之御魂神、保食神、大国主命)」
(5)合併時期不明
・小字「貴船」の「貴船神社(祭神 闇淤加美神)」
社殿脇に石段があります。
社殿を見下ろしながら登っていくと……。
合併した神社は5つのはずなのに、なぜか6つ石祠があるのです。福岡県神社誌にも記載がない、この地区内の神社がもうひとつ、ここに整理されているようです。
もしくは、社殿を見下ろすという配置をかんがえれば、吉志地区がよく見えるこの位置に、敢えてオールスターを集結させているのかもしれません(かんがえすぎ?)
俗にいう織田木瓜紋があり、スサノオさんを祀る祇園社や疫神社が基本なのはあきらかです。
昭和8年に村社指定とはおもえないほど、立派な本殿です。この地域には相当な資力を有する家系が存在していたのでしょうか?
護岸工事で風情もへったくれもありませんが、境内から川に下りるための石段がもうけられています。社殿に近いという点もよくかんがえられており、縦長の境内をじつにうまく利用しています。村社指定のさいに大改造をうけたとかんがられ、相当優秀なかたが配置をしっかり検討されたようです。
社殿裏手からも入ることができたようですが、柵が施錠されていました。
私が高校のころくらいが、世代的にシンナー遊びとかのピークだとおもってたんですが、どうやらいまだにつづいているようです。警告の案内板があたらしく、ビックリしました。
福岡県神社誌:下巻453頁
[社名(御祭神)]天疫神社(須佐之男命、大己貴命、天之忍穂耳命他十五柱)
[社格]無格社
[住所]企救郡松ヶ枝村大字吉志字方宗
[由緒]記載なし。
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.08.19訪問)※二重掲載
福岡県神社誌:下巻161頁
[社名(御祭神)]天疫神社(須佐之男命、天之忍穂耳命、天之菩卑命、天津日子命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理比賣命、市杵島比賣命、多紀津比賣命、奥津彦命、奥津姫命、倉稲魂命、彦穂々伎命、大己貴命、天津日高日子番能邇邇藝命、稚産霊神、宇迦之御魂神、保食神、大国主命、大日霊女命、闇淤加美神)
[社格]村社
[住所]企救郡松ヶ江村大字吉志字片宗
[由緒](略)
[境内社(御祭神)]五穀神社
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.08.19訪問)※二重掲載
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。