松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市南区井尻5丁目 地禄神社(井尻地禄神社)


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一の鳥居からしばらく車道と両脇に民家が続きます。

注連掛柱のあとに、二の鳥居です。

地禄神社(じろくじんじゃ)

祭神 埴安神(はにやすのかみ)

伊冉尊(いざなみのみこと)から生まれた埴安神は、元々土の神として古くから農民により、五穀豊饒(ごこくほうじょう)を祈願されて来ました。由緒は不詳ですが、福岡藩の国学者である青柳種信(あおやぎたねのぶ)が助修して寛政十一年(西暦一七九九年)に完成した「筑前國続風土記附録(ちくぜんのくにそくふどきふろく)」の井尻村の頃に、「地祿天神社(じろくてんじんしゃ)」と記されています。敷地には、多数の奉献石造物のほか、社殿後方に阿弥陀を意味するという梵字(ぼんじ)による先祖慰霊の石板碑が立てられています。近年営農者はごくわずかとなりましたが、祭神は土地の守り神として、多くの周辺住民から尊崇(そんすう)を集めています。

(略)

当社では、現在四十八戸の氏子(うじこ)の家が交代で宮座(みやざ)を組んで祭典を運営し、地域の老人会の協力を得ながら維持管理を続けています。

熊野神社(くまのじんじゃ)

祭神 伊奘冉尊(いざなみのみこと)国造り・子孫繁盛の神

祭神 速玉之男(はやたまのお)約束を守る神

祭神 事解之男(ことさかのお)物事を解決する神

地禄神社拝殿の左隣りに、熊野神社があります。由緒は不詳ですが、やはり「筑前國續風土記附録」に「熊野権現社(くまのごんげんしゃ)」と記されています。ただし、社殿は以前現在の井尻会館の敷地内に建っていて、大正二年(西暦一九一三年)に当地へ移設され、昭和七年(西暦一九三二年)頃改築されました。裏口の鳥居(明治二十年、西暦一八八七年奉納)と、社殿前の常夜燈(じょうやとう・文久二年、西暦一八六二年)も、改築前の社殿と共に移設されて来たものです。祭典は毎年七月二十八日の「六月堂(ろくがつどう)」と呼ばれている儀式で、本来は子供たちだけでとり行われるべきものですが、現在は実質的に地禄神社の座が運営しています。当日は地域の多くの子供たちが参拝して、夜は花火などを楽しみます。

地禄神社は、横長の拝殿に、縦の渡り、そして本殿と、よくみかける配置です。

社殿正面向かって左側に、熊野神社があります。

社殿のあいだ、御神木の脇に、慰霊碑が建てられています。まず、こちらに手をあわせました。

福岡県神社誌:中巻52頁
[社名(御祭神)]地禄神社(埴安神)
[社格]村社
[住所]筑紫郡曰佐村大字井尻字兵太郎
[由緒]不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
[境内社(御祭神)]熊野神社(伊邪那岐命)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.07.06訪問)