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柄杓田地区を見下ろす高台にある神社です。
境内から、町が一望できます。
たまたまgoogleマップとゼンリン「いつもナビ」が指示した歩道から進入したのですが、よくみると海沿いの道に鳥居があり、参道があったようです。
現在の地図と戦前の地図を重ねたり見比べてみるとわかりますが、緑の空き地の部分は埋め立て地で、遠浅の海を浚渫して漁港を整備したことがわかります。明治の5万分の1の地図だと、こんなに干潮の差があるのかとおどろくほどです。
天疫神社の由来
祭神須佐之男命 外十一柱
当神社は寛文年中(今より三百二十三年前)より宇浜の上に鎮座あり安政三年字貴船迫にありし貴船神社を明治十三年六月に合祀す
当柄杓田は昔より漁港にて疫病が流行したことがあったので医薬の神として須佐之男命を祀り又農業の神として貴船神社合祀してお祀りしている
当神社は柄杓田の守護神として町民の敬愛を受けている
平成八年三月吉日
甲宗八幡宮司 大神文和
案内板を眺めていて、ほかの天疫神社と少々由来の書かれかたがことなるのが気になりました。
福岡県神社誌に掲載されている「天疫神社」は、すべて北九州市(とくに旧企救郡)内にあります。この天疫神社、蛇神がもたらした悪疫をスサノオさんの力で退治するという由緒となっているところがあり、八岐大蛇(やまたのおろち)伝承の原型ではないかと考えたことがあります。
ところがこの案内板のとおりだと、交易の窓口であった港町は疫病が持ち込まれることも多かったため、悪疫退散・医薬の神としてスサノオさんが祀られたと読めるのです。
まだまだすべての天疫神社を訪問し終えたわけでもありませんし、どこかでなにかわかるかもしれません。とりあえず結論は保留とします。
福岡県神社誌:下巻450頁
[社名(御祭神)]天疫神社(須佐之男命、天之忍穂耳命、天之菩卑命、天津日子根命、熊野久須毘命、多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命、高淤加美神、闇淤加美神、彌都波能売神)
[社格]無格社
[住所]門司市大字柄杓田字宮脇
[由緒]記載なし。
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.06.09訪問)