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江戸時代、鳥栖市の東半分は対馬藩領でした。対馬藩は田代領を治めるために代官所を設置し役人を派遣しました。田代上町に所在する西清寺の記録によると元和年間(1615-1624)に建築されたと思われます。
「御勘定所田代代覚書」には代官所の建物は田代上町にあり「御屋敷」と呼ばれていたことが書かれています。また、長崎街道に沿って南面し、表間口が48間、奥行きは東82間、西77間、裏は68間の広さであったことがわかっています。
田代代官所は嘉永4年(1851)に改築されたことが記録に残っています。この指図はその時の設計図にあたるものと思われ、弘化4年(1847)の作成と考えられています。また、建物の一部は2階建てになっていたようです。
指図の本家は代官が公務を行った建物で、中庭の奥は住まいとして使われていました。
この他に、享保9年(1724)の指図も現存してあり、これらの指図は平成11年に鳥栖市重要文化財(歴史資料)に指定されました。
このえびす様がある消防団車庫と、その裏手の田代小学校一帯に、往時、対馬藩の田代代官所があったようです。
それにしても、立派な御姿です。
(2022.05.11訪問)