松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

久留米市国分町 日吉神社


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鳥居には「山王宮」とあります。本殿裏手の御神木が印象的な神社です。

日吉神社由緒

一、御鎮座地
久留米市国分町字谷七一一番地の一

一、御祭神
大山昨命(御祭神二柱、一柱は本社、一柱は元字西村日吉神社の御祭神)
安徳天皇(元字東、皇王神社の御祭神)
少彦名命(元字東、皇王神社境内社淡島神社の御祭神)
仁徳天皇(元字南、若宮八幡神社の御祭神)
神功皇后(元字西村、日吉神社境内社字(さんずい+弥)神社の御祭神)
菅原道真(御祭神二柱、一柱は元字東、天満神社、一柱は元皇王神社境内社)
(略)
一、由緒
承平二年九月(九三二)今より約千年余前宮一品、兼基親王、山王宮を御建立せられる。これが当地に日吉神社が鎮座された初めである。戦国時代 天正七年(一五七九)社屋兵火により焼失したが、寛永九年(一六三二)国分村庄屋国分十右エ門により再建され従来住民は産土神(生まれ土地の主護神)として尊崇して来た。明治四十四年国分村内の八神社の御祭神を当日吉神社に合祀し六柱の御祭神を奉祀している。

一、境内に十三塚神社あり、毎年七月十七日祭典を行う。

案内板を読むと、えらく御祭神が多彩なのは、どうやらこの地区にあった8つの神社を統合した結果だとわかります。

案内板ではさらりとしか触れられていませんが、境内に十三塚神社があります。

歩兵第48連隊 - Wikipedia

1896年(明治29年)に、この久留米の地に陸軍歩兵第48連隊が設置されます。

注)黄色の○が日吉神社の位置。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)

むかしの横書きは、1文字ずつの縦書きなので「八四歩」は、今風に書くと「歩四八」になります。

現在の自衛隊駐屯地がある場所なのですが、古墳やらなにやらをぶっ壊して土地を造成し建物を建設したところ、不慮の事故が続発したとのこと。

工事中に出土した刀剣や甲冑をまとめ、一週間祈願のうえ祀ったのが、この十三塚神社なのです。

本殿の裏手に、えびす様や石祠がまとめられていました。どなたが祀られているのかだいぶ眺めてみましたが、よくわかりませんでした。

「内外米廉売「祈」念」か……。おコメが値上がりしたらたいへんだもんな……。漠然と考えながらよくみると「紀」念です。誰かが安く売った記念というわけで、意味がかわります。調べなくてはいけませんね……。

LINEでリアル知人から質問がありましたが、この場合の「内外米」とは、内米(内地米)と外米(外地米)の総称です。内地は、だいたいいまの日本国の領土で、外地は満州・台湾・朝鮮などからの輸入ものを指します。私の曾祖父は「南京米も腹が減りゃ食える」と言っていましたから、現在の中共からの輸入もあったようです。

「王」の字を御神紋にしたのでしょうか。

筑後国分寺跡 - Wikipedia

聖武天皇の詔による建立とされるが、創建の記録は残っていない。『続日本紀』には天平勝宝8年(756年)に筑後国を含む26ヶ国の国分寺に対する法具頒布の記事がある。『延喜式』では筑後国分寺料は13,394束。仁治2年(1241年)の文書によれば、当時には国分僧寺・尼寺ともに有名無実化し、破損の甚だしいことが見える。その後は武士の台頭により寺領も失った。 

この日吉神社境内には、むかし筑後国分寺があったそうです。すると、国分寺跡に勧請された山王権現がいまも生き残ったということでしょうか?

福岡県神社誌:中巻152頁
[社名(御祭神)]日吉神社(大山咋命、安徳天皇、少彦名命、菅原神、仁徳天皇、神功皇后)
[社格]村社
[住所]久留米市国分町字谷
[由緒](略)
[境内社(御祭神)]記載なし。
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.05.07訪問)