美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

9月20日の日録



撤収前のようす。

知人から聞いて、下関の安倍事務所がなくなると知り、小倉に出たついでに下関まで足を伸ばしてみました。前回訪問時とずいぶん雰囲気がことなり、周囲には誰もいません。国葬と山口県民葬が終わって12月中には閉鎖するとのこと。

すでに東京のほうは報道のとおり国葬までと決まっており、足元(山口4区)の下関市議会の会派構成も、子分以外の冷や飯くってた会派が合同し第一会派が逆転しましたし、本人居なくなったら2か月でここまで崩壊するとは、さすがに想像してませんでした。東京オリンピックの件といい、統一教会の件といい、ボロボロ出てきて、どうしてこうも押さえが利かないのか?と謎でしたが、こんな体たらくだったんですね……。

地元で子分どもの暴れっぷりをいろいろ聞いている(注 この件だけじゃありません)と、親分が国葬ってなにかの冗談だとしかおもえませんでしたが、まぁ、それは東京のひとが判断することです。外面のよい亭主だったんだなぁ、というだけ。

ただ、それは徹底した情報統制できちんと遂行できたときの話で、こんなにボロボロ過去の疑惑があちらこちらから出てくるようでは、岸田文雄の統制力がうたがわれます。

というより、隣県が選挙区でしかもアベベ政権時の外務大臣、さらに同期当選なんだから、便乗して支持率上昇となるか、化けの皮が剥がれて地に落ちるか、イベントそのものが丁半ばくちだとわかってたはず。

まぁ、個人的には、あくまでも個人的には火炎瓶事件といい、支援企業への談合垂れ流し問題といい、ざまあみさらせ、という気分です。天網恢恢疎而不失」ですね。

まだどうなるかはわかりませんが、たぶん、世のなか、捨てたもんじゃありません。そうなるでしょう。

なってもらわないと「税金はたかったもの勝ち」「(子分の選挙で)対抗候補へ嫌がらせに〇〇撒いても勝てばOK」と、次世代が教育感化され日本がおかしくなってしまいます。

合掌(-人-)

桜山招魂場へ。

シーモールパレスの裏手にある安倍事務所(スポンサーの元所有地。駅前にその会社が経営する店があります)をながめて、どうも気分がよくありません。

もう20年以上足をはこんでいませんが、「神社めぐり」がてら桜山招魂場(桜山神社)に行ってみることにしました。

しっかり御神域で除染することにします。

下関医療センターのさきの「了円寺」バス停で下車して、坂道を登ります。以前来たときと道が違うような気もするのですが、よくわかりません。

すっかり傷んだお堂があります。みた記憶がありません。

招魂場の裏の路地に出ました。ここには見覚えがあり、この路地に至る登り坂がいくつかあるので、それをまちがえたのでしょう。なお、バス停から近い道を登っているだけで、ほんとうの参道は、べつにあります。

ずらりと墓石が並んでいます。否、これは墓石ではなく「招魂碑」です。

招魂社 - Wikipedia

1863年(文久3年)に高杉晋作は、下関戦争での戦没者の霊を慰めるため、また、今後の戦いに臨むに当たって自分たちの生墳(生前にあらかじめ建てておく墓)が必要であると発起し、奇兵隊の賛同を得て隊員共同の招魂場を設置することになった。(略)招魂社の発想は、その後全国に広がった。東京招魂社は1879年(明治12年)に明治天皇の命名により靖国神社と改称、地方の主な招魂社は1939年(昭和14年)護国神社と改称している。

つまりここ、靖国神社や全国の護国神社の原型(第一号)なのです。

最前列中央が松陰吉田先生こと吉田松陰高杉晋作久坂玄瑞、全部で6列あります。

帰り、下関駅まで戻り、JRを利用しました。

小倉方面の電車のみうごいており、ほかは台風の影響でまだ運休中でした。小倉行が出る6番ホームの隣、5番ホームには、俗にいう「末期色(まっ黄色)」の115系が寝たままでした。