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文化文政のころ創建ということは、11代将軍家斉公の時代です。
御神殿をかみやんどん(神宿殿)と呼んでいたそうで、子供たちの守り神とされたとのこと。
気になるのは「再建実行委員会」という署名で、「再建」したということは、いちどはどこかに整理統合されたか、移転の憂き目にあったかを意味します。
背景は公園として整備されており、もとはここも境内の一部だったのかもしれません。
福岡県神社誌:下巻449頁
[社名(御祭神)]疫神社(須佐之男神)
[社格]無格社
[住所]小倉市北方字田中
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.04.06訪問)