今日の運動経路
12日、知人事務所の用事で小倉に出ました。
「また午後からどっかお宮めぐりするん?」と訊かれ、知人に考えているコースをiPhoneでgoogleマップをみせながら話すと「背広着て登山?もみじ谷?は?」と哀れな馬鹿をみるまなざしでこちらを眺めてきました。
じつは今回の訪問地、まったく土地勘すらありません。ただgoogleマップで約4kmと表示されたため、2時間あれば行けるだろうとなんとなく考えていただけでした。
「2時間?無理無理」と知人に言われたのに、あれほど裏切られつづけたgoogleマップを信じて歩いた経路は、以下のとおりです。
実際には、GPSログで6.6kmありました。
スタート地点の「丸山1丁目バス停」の標高が15mで、今回の最高地点(もみじ谷)が185mと、ほんとうに高低差170mの軽登山を背広でやってしまいました。
考えなおせというはずです。
知人事務所がある西小倉駅周辺から、スタート地点の丸山1丁目バス停までは1時間に数本バスがあるのですが、経路が複数あります。都市高速経由だと30分ほどで着くものの、もっとも迂回するものだと約1時間かかります。
ここは、今回初めて下車するバス停です。


地理院地図とゼンリン「いつもNAVI」を交互に確認しつつ歩くのですが、ほとんど山にへばりつくように家が建ち並んでいます。谷にむりやり住宅地が造成されているような感じです。しかしこの石垣を組むだけでもおカネかかってるでしょうし、それがまたほとんど空き地……。


行きつ戻りつ迷いつつ、なんとか1社目、白龍大神に到着です。


次の中原観音・豊川稲荷にむかう途中、不思議な建物をみかけました。最初は銭湯かなにかの跡かとおもったのですが、どうやら住居跡のようなのです。
それにしても、せいぜいすれ違うのがやっとの道なのに、周辺の家には軽自動車が駐車されていたりします。どうやって車庫にいれているのだろう?


さらに「山登り」をつづけていくと、ヤギを飼育している家がありました。ヤギの放牧……。もう少し登ったところに、北九州市水道局の配水池がありました。


今回の最高地点、中原観音・豊川稲荷に到着しました。40分かけての軽登山です。しかも背広というハンデで暑くてたまりません(笑)
見下ろすとここまで民家があります。門司が栄えていた時代、こんなところまで住宅地として開発されていたのですね……。
豊川稲荷大明神にお参りしました。


手すりにつかまりつつ階段を下りると、水神様と観音様が祀られていました。
水神様の池には、おたまじゃくしがいっぱいです。大きくなったら御神使になられるのでしょうか?
観音様の横に由緒を彫った石碑がありました。
iPhoneで撮影し、googleフォトのOCR機能で文字起こしして、それを修正して利用しているのですが、近年、だいぶ精度が向上したように感じます。
筆文字を読ませ、修正前のものをわざと掲載してみます。
中原視音樣起
当中原観音寺の御本尊様は 昭和十年四月十八日門司区片上海岸に於いて 中原組海事工業所の掃海作業中潜水夫の
手によそ海底より引き上げられました 御本尊様は像高六寸の陶製でございます
中原家本部に於いて 秘仏として 尊崇されてま 昭和五十三年四月十八日秘仏の身代りとして ました
広田観師の手によって御本尊様を 等身大の姿に刻み当寺境内に御堂を建立 南開眼供養取り行い広く一般に公開してまいりました。 尚毎年四月十八日当寺観音堂に於いて
大祭を確しその日は御本尊様の年一回の 御開帳日といたしております
平成五年四月吉日
どうでしょうか。筆文字でこれだけできれば、上等だとおもいます。


季節になったら紅葉がきれいだろうなあ、とおもいつつ歩いていくと、どうやらここが知人の言っていた「もみじ谷」のようです。
災害復旧工事現場を過ぎたあたりから視界がひらけてきて、関門橋や対岸の下関側がみえてきました。景色が素晴らしい……。


風師山不動明王院のなかに五社稲荷大明神がありました。後日「神社めぐり」で取り上げますが、般若心経をお坊さんがあげる声を聞きつつ、お稲荷さんに手をあわせる貴重な時間を過ごすことができました。


石鎚神社です。以前は石鎚本教門司教会だったようです。
清滝公園の入口がみえてきました。ここからも関門橋がのぞめます。子供の声がします。おそらく家族連れが遊んでいるようです。
権九郎稲荷大明神と白龍大明神、熊鷹稲荷大明神がお祀りされていました。
白龍大神という神様はこの地でよくみかけます。googleで検索すると「地神」として紹介しているものがあり、白族出身の龍神なら豊玉彦(豊国主、豊前坊、思兼命、ヤタガラス)の別名でしょうか。
熊鷹稲荷は伏見稲荷の熊鷹社からの勧請だと考えるのが普通でしょうが、この地に羽白熊鷹(熊鷲)の伝承があるのだとしたら、面白いとおもいます。
貴布祢神社がみえてきました。
門司倶楽部という中華料理店です。むかし、半強制的にお見合いさせられたことがあり、駅から近くといわれてだいぶ坂を登った記憶があったのですが、ここだったんですね……。


路地に入ってしばらく歩くと最後の訪問地 清年神社にたどり着きました。
三宜楼 – 北九州市観光情報サイト|北九州の観光&イベント情報はぐるリッチにおまかせ
三宜楼
昭和6年に建造され、平成26年にリニューアルオープンした三宜楼。
現存する木造3階建ての料亭の建屋としては九州最大級の規模。
館内には、三宜楼と門司港の歴史が分かる展示スペースがあり、出光佐三や高浜虚子など料亭を利用した人物なども紹介されている。
かつて踊りや能が披露されていた「百畳間」と呼ばれる広間は、細やかな装飾が美しく、一つひとつ文様が違う欄間など当時の木造建築の粋を集めたもの。
高さ5mはある高台のうえに木造3階建ての元高級料亭です。ふく料理の会席を出してくれるという話でしたが、3月末で休業となっているようです。
JR門司港駅まで歩き、ここからJRで西小倉駅まで戻りました。
門司港駅前~西小倉駅前 | にしてつ時刻表 | 西鉄グループ
駅の改札をくぐって気づいたのですが、門司港駅って想像以上に列車ないんですね。出場してバス乗ろうかともおもったのですが、だまって汗を拭きつつ、コンビニで買ったコーヒーのみながら休憩しました。
歩いた時間だけで2時間55分、どこをどう申し開きしても2時間なんてまったく無理でした。
知人事務所にいちどもどってから遅めの昼食をいただき、甘木に帰宅しました。
固定資産税を納める
固定資産税の納付書が来ていたので、全期まとめてコンビニで納めました。約11万でした。マンションだけしか資産ないんですが、そこそことられますね……。