仕事のあいまに「神社めぐり」
29日と30日は、3月いっぱいまで雇用されている仕事場のパソコン設定作業でした。
夕方から出勤し、午前様になるまえに退勤しました。
午後から仕事では遠出ができません。2日とも午前中を利用して、近場の神社めぐりをしました。
29日の運動経路
29日は、旧京都郡犀川町(現みやこ町)の神社めぐりをしました。自転車で約16kmの運動でした。
午前8時過ぎにみやこ町役場犀川支所に到着し、ここに駐車させてもらいました。折りたたみ自転車を組み立てていると、工事関係車両が何台かすでに作業をはじめていました。この場所には体育館や支所がまとめて建てられており、いずれかの施設で修繕作業かなにかが行われていたようです。
谷あいの農地を、平成筑豊鉄道の線路が東西に伸びています。直方から金田・田川・油須原を経由し、この犀川をとおって、豊津・行橋に至る鉄道です。
画像は油須原・田川方面で、この反対が、豊津・行橋方面です。最初にめざす崎山八幡宮は、この線路の先にあります。


途中、崎山駅でトイレを借りました。時刻表ではどうやら1時間に1~2本程度走っているようです。
崎山駅を出て、ゼンリンやgoogleマップを確認していると、踏切の警報が鳴り、列車がやってきました。1両編成のディーゼルカーで、ほとんどお客さんの姿はありませんでした。


googleマップにさんざんてこずってきたのにまた信用してしまい、自転車で渡れない道にまた誘導されてしまいました。いったん引き返して崎山八幡宮に到着すると、なんとこんどは参道が線路で分断されています。
ゼンリンを確認してもほかに道は表示されませんので、おそらくこれを渡るしかないのでしょう。ディーゼルカーの音なんてどこからもしていませんが、線路を横切るのはなかなかおそろしいものです。


築城年代は定かではないが山鹿氏によって築かれたといわれる。
その後、宇都宮信公、天正年間(1573年?1592年)には桃井右近が城主であったが、桃井氏の時、大友氏によって攻撃され落城したという。
神社めぐりの途中、犀川山鹿地区にて「山鹿城跡」の看板を発見しました。
「山鹿城」という名前の城は、熊本の山鹿市、福岡県の芦屋町にもあります。
wikiをみてもいまいちよくわからないのですが、どれも山鹿氏の居城だったとあり、あちこちに領地をもっている一族が居たのだなとあらためて驚きます。
犀川山鹿地区の琴枚神社前に、山鹿宿時代の道標(里程標)がのこっています。
「これより椎田まで3里31丁(約15.2km)」「これより油須原まで2里(約7.9km)」とあります。いまでこそ少し大きめの農村集落にしかみえませんが、往時は城と宿場のある立派な町だったのでしょう。


立屋敷遺蹟がみえてきました。ちかづくと鳥居の扁額は「生立八幡宮」とあり、いっしゅん場所を間違えたかと周囲を見回してしまいます。
神功皇后が三韓征伐の帰路、この地で休憩していたときに子供が石につかまって自力で初めて立った場所なので、「おいたつ(生立)」という地名になったとあります。のちに生立八幡宮は現在の地に移転し、現在、ここ立屋敷は神事で利用されているそうです。
この生立、むかしは「於比多都」と書いたそうで、ふと、気になります。大分県の日田をむかしは「日高」と書き、そこに「比多(ひた)」と読み仮名が振られているのを文献でみた記憶があるからです。
「日田に於いて?」「日田より?」
もしかすると神功皇后伝承ができるまえから、豊前国の中心だった豊津と日田をむすぶ中継点かなにかだったのかもしれません。
ここでソイジョイと自販機のコーヒーで休憩しました。むかしはまじめにバーナーでお湯を沸かしてラーメン食ったりしてましたが、しょうじき時間かけて豪勢にやるのも疲れました(笑)お菓子と飲み物くらいで充分です。
生立八幡宮に到着しました。


樹齢800年のクスノキがそびえています。
どのくらい大きいか、神社を背後から撮影したほうが、わかりやすいかもしれません。おそらく千坪以上ある境内に、樹木でこんもりと山ができています。
神社めぐりの途中、犀川駅に立ち寄りました。地図には駅とあるのでべつに駅舎があるのかと探し、タクシーの運転士さんにたずねたところ、この町営施設「ユータウン犀川」が駅舎なのだそうです。
こころ旅ブログ:NHK | きょうの風景 | 九州上陸1日目
以前、火野正平さんがここでちゃんぽんを食ったとのことでしたが、よくわからず一階をのぞいただけで撤退しました(たぶん11時営業開始?)。
犀川支所に帰着しました。ちょうど黄色の○のところにトラックが複数とまっていたのですが、作業もおわったのか撤収された後でした。
甘木に帰着して着替え、すこし神社めぐりの結果を整理してから、仕事に行きました。
30日の運動経路
30日は往復で約10km走りました。
ゼンリンや地理院地図で気づかなかったのですが、googleマップに「竈神社(かまどじんじゃ)」が掲載されています。そのうち行こうとリストアップだけしておいて、1年以上経ってしまっていました。


車一台分の幅しかない道(たぶんこの自転車すら邪魔)に隠れるように、竈神社はありました。
地理院地図を拡大すると、こんな感じです。これはジモティ以外わかりません。
近場でまたひとつ収穫があったと喜びつつ、行きと違う道を帰路に選んで走っていたところ行き過ぎてしまい、見上げるとなにやらお堂がみえます。


お堂には子を抱く観音様が祀られていました。隣の祠は水神様でしょうか?
朝倉市草水地区の中心には「天満宮」(青〇)があります。ここからみれば北東の集落のはずれとなり、鬼門封じなのかもとおもいましたが、確証はありません。
ただ、各地で神社めぐりをしていると、この朝倉市草水地区含め旧朝倉郡馬田村から現在の三井郡大刀洗町にかけて、家の家紋や建物のデザインに十字が紛れ込んでいる家をみかけることがあり、ただの子安観音や慈母観音かどうかつい疑ってしまうのです。
ぬれせんべいを注文する。
銚子電鉄、「限界鉄道会社」に 故障で減便、稼働車両1本 - 産経ニュース
千葉県銚子市のローカル鉄道「銚子電鉄」が、稼働できる電車が1本だけという異常事態に陥っている。3本あった電車のうち1本の検査中に、もう1本が故障して走行不能に。通常ダイヤでの営業は困難となり、同社は24日から2往復分減らした。竹本勝紀社長は「不安におびえながら運行する『限界鉄道会社』になった」と困り顔だ。
(略)
いずれの車両も製造から約60年が経過しており、故障は老朽化が原因とみられる。数年ごとに検査が必要とされ、1本を検査中は2本で運行していた。本来は4本が必要だというが、資金繰りなどの関係で確保が難航していた。
このニュースを読み、「ぬれせんべい」を注文しました。2020年4月以来です。
千葉県銚子市の地方私鉄である銚子電気鉄道は、1995年より「銚電のぬれ煎餅」(登録商標)の名でぬれせんべいを製造販売している。慢性的に経営難という問題を抱え続ける同社の増収策として位置づけられ、先行して参入していた「イシガミ」が銚子電気鉄道を支援するため無料で技術を指導した。
だいたい年に1回は買っている勘定です。