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この日、日田市前津江町柚木に向かう途中、すで場所は確認していたのですが、数台分の駐車場が備えられた、なかなか大きな神社です。駐車場には地域の情報が記載された観光案内板があり、思わぬ発見があります。
鳥居をくぐるといきなり本殿の尻が見えます。境内をぐるりと眺めて、どうやら現在の県道が完成した時点で、入り口が逆向きになっているのに気づきます。
川沿いにも舗装路があり、こちらが旧道のようです。あらためて正面から境内に入り直します。
平家滅亡後、源頼朝より安芸国検非違使所に補され、能登国珠洲郡大家荘を与えられた。
信連の子孫は能登国穴水の国人として存続していき、長氏を称して能登畠山氏、加賀前田氏に仕えた。また、曹洞宗の大本山である總持寺の保護者となり、その門前町を勢力圏に収めて栄えた。
wikiを読むとうきは市浮羽町田篭地区と関係ないように見受けられます。
どうしたものかと他の文献(筑後国史下巻450頁)を調べると「長谷部信連新川村長岩ニ居、新川・田籠・小塩・妹川・小坂・流川・溝尻・朝田・限上・山北・大石・原口・橘田等ノ数村ヲ領、時信ニ迄テ十七代其家断絶」とあります。この記述では、本人は新川村に所領を得て、彼の子孫が能登国で長氏になったということになります。
好意的に見て、おそらく長氏もこの新川の長谷部氏も同族なのでしょう。お互いもっとも有名な御先祖を引っ張り出して、始祖としたのではないでしょうか。
するとこの立派な諏訪神社は、領主長谷部氏が持ち込んだ祭祀を、長谷部氏断絶後も地元が氏神として引き継いできた、ということになります。では元の祭祀は?
観光案内板を眺めると「山の神」がやたらと目につきます。おそらくこの「山の神」がカギになりそうです。
福岡県神社誌:中巻268頁
[社名(御祭神)]諏訪神社(健御名方神)
[社格]村社
[住所]浮羽郡姫治村大字田籠字馬場
[境内社(御祭神)]天照皇大神、日枝神社(大山咋神)、山神社(大山積神)、天満神社(菅原道真公)、白峯神社(崇徳天皇)
[摂社(御祭神)]
[末社(御祭神)]
(2021.06.19訪問)