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不詳、明治五年十一月三日村社に被定。祭神猿田彦命は同大字字辻村興玉神社として祭祀ありしを明治四十四年五月二十五日合併許可、同時に社号を興玉神社と公称許可。
社号が興玉神社とあるため、猿田彦(山幸彦、饒速日:にぎはやひ)を祀る神社なのかと思っていたら、福岡県神社誌の記述を読むかぎり、どうやらここに先に在ったのは日本武尊を祀る神社で、今見ている姿は、あとから整理統合された姿のようなのです。
猿田彦を祀る神社なのに天之忍穂耳・英彦山・阿蘇系を示す鷹の羽紋がついているため、ギョッとしましたが、元々が日本武尊を祀る神社と混濁した姿なのだと気づけば、鷹の羽紋も致し方ないと考えられます。しかも境内社に豊日別神社があるとあり、豊日別命とは豊前坊、豊玉彦の別名ですから、鷹の羽紋はそこから来たのかもしれません。
正面向かって右手に3つ石祠が並んでいるのですが、どうやらこれ、祖霊社のようなのです。祖霊社の横には、傾いた庚申塔が並んでいます。
正面向かって左手のこの石祠が、豊日別神社なのでしょうか?
この神社は、どうやら古墳の前頭部を削って作られているようです。
後方の方墳にあたる部分はこれでしょうか。
福岡県神社誌:上巻283頁
[社名(御祭神)]興玉神社(日本武尊、猿田彦命)
[社格]村社
[住所]鞍手郡中村大字高野字塚元
[境内社(御祭神)]豊日別神社(豊日別命)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2021.06.06訪問)