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前回が2019年7月でしたので、ほぼ1年ぶりの再訪です。
五七桐紋は、初代住吉大明神 鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)から、玉垂命(底筒男)が引き継いだ紋章であり、この神社のほんらいの姿は玉垂宮だったと考えます。この点は、以前訪問したときの結論のままで、現時点でことなることはありません。
今回、福岡県神社誌を読み返していて気づいたのですが、何故このような御祭神の構成になったかについて、福岡市博多区の住吉神社の所領であった時期があり、後年、宇佐神宮領であった時期があったためであると解説されています。
玉垂宮神秘書に、玉垂命と神功皇后が夫婦であった時代があることが記されており、桐紋は鵜葺草葺不合命から玉垂命を経て、神功皇后に受け継がれました。神功皇后を祀る神社の御神紋に五三桐紋が多いのは、玉垂命が五七桐紋を使っていたことと関係があるのです。
(注)以前撮影した画像を再掲しています。
福岡県神社誌の説明では本殿が男千木であることとの釣り合いがとれません。
男千木で男神をあらわし、五七桐紋で誰かを考えさせる意図はないでしょうか。ここはやはり玉垂宮だったのでは……。
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過去の訪問記録
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福岡県神社誌:下巻194頁
[社名(御祭神)]住吉八幡神社(中筒男神、表筒男神、底筒男神、応神天皇、神功皇后、猿田彦大神)
[社格]村社
[住所]田川郡川崎町大字安真木字戸山
[境内社(御祭神)]貴船社(高淤加美神)、琴比羅神社(崇徳天皇)
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(2020.06.20訪問)