美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

田川郡川崎町安眞木 住吉八幡神社

goo.gl川上神社についてあれこれ地図を見ながら考えていたところ、住吉八幡神社というのを発見しました。
住吉なのに八幡?と興味をもち、行ってみることにしました。

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道路は狭いものの、駐車場は広々としています。どうやら鉱害復旧工事かなにかで大規模な改修がおこなわれているようです。石段をあがり社殿をぐるりと一周してみて、五七桐紋があちこちについているのにびっくりしました。

住吉でも八幡でもありません。玉垂宮ではありませんか。

五七桐は、玉垂命である武内宿禰の御神紋です。

福岡県神社誌によれば、御祭神は住吉三神応神天皇神功皇后猿田彦とされています。

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案内板にある由緒書きには、文永の頃とあります。1264年から1274年ですから、すでに高良玉垂宮は九州宗廟の地位を宇佐宮にゆずりその支配下となっており、新たに玉垂宮が勧請できる余地はありません。なのに目の前には五七桐紋の社殿がある。たしかに玉垂宮の御祭神は、中央が玉垂命、向かって左が住吉大神、右が八幡大神とされています。ここから玉垂命だけ抹消すれば、住吉八幡神社が出来上がってもおかしくないわけです。

玉垂宮神秘書によれば、仲足彦(仲哀天皇)の死後、神功皇后は玉垂命の妃となったとされています。

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住吉大社神代記 - Wikipedia

『神代記』で最も有名な伝承は、神功皇后に関するもので、神功皇后住吉大神と「密事」があり、俗に夫婦の間柄となったと、いう主旨の註記が付されている。この伝承は神功皇后と関連してしばしば取り上げられる。

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玉垂宮神秘書は、住吉三神のひとり底筒男命こと玉垂命と夫婦だと言っているけれど、住吉大社に伝わる重要文化財「神代記」は3人の誰とは書いていません。

そもそも、底筒男命=玉垂命と中筒男命崇神天皇表筒男命=安曇磯良という出自のことなる3人が十把一絡げというのもすごい話で、三韓征伐を支援した3つの勢力くらいに考えておいたほうが、無難です。

目の前の住吉八幡神社をみてわかるのは、応神天皇神功皇后の子供かもしれませんが、玉垂命との子ではない、ということです。

実の親なら、玉垂命を積極的に祀り上げこそすれ、消去することはあり得ません。

こうやって表向きは従いつつも、しっかりとメッセージを残して、信仰を守ってきた住民のかたの熱意には、感動すらおぼえます。

では、応神天皇の父親は誰なのか?

前にも書いた気がしますが、いくら一族の維持と繁栄のための政略結婚とはいえ、なんでこうも乱交?乱婚?なのか……。

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本殿の左右を守るのは、並び矢紋と日輪紋の祠です。

並び矢は飯塚市の大分八幡宮にもありましたが、応神天皇の御紋だとおもっていたのですが、どうして外に?

日輪紋は、スサノオさんでしょうか?

(2019.07.06訪問)