松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

うきは市吉井町桜井 水神社(長野水神社)


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5月18日、杷木で所用がありお昼からお休みをいただきました。

目的をすませたあと、原鶴温泉の反対側にある長野水神社を初訪問しました。

長野水神社(五霊社) | うきは市観光ポータルサイト

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ホームページなどをみると気づくのは別称が「五霊社」とされていることです。罔象女神(みずはのめ)がどこかに消えています。

神社の概要はうきは市のホームページや現地の案内板をお読みいただくとして、社地の広さにまず驚きます。ざっと3,000坪はあろうかという感じです。境内社はなく、拝殿・渡り・社殿と、社務所宮司宅があります。

あまりに「寺」の要素を排した、教科書に出てくるような神社建築なので福岡県神社誌を確認すると、なんと明治10年(1877年)3月の創立とあります。現地案内板には明治15年創立とありますから数年の誤差があり、どちらが正しいかはわかりかねるものの、おそらく最初は、公称の神社ではなく、あくまでも屋敷神などに近い私的な祭祀だったのでしょう。

もう少し想像で語ることを許されるなら、もともとここは「五霊社」と呼ばれる治水事業を先導した5人の偉人を祀る(私的な)お宮だったのです。それが明治34年(1901年)6月に公式な神社として認められるにあたり、罔象女神(みずはのめ)を御祭神に据えたのでしょう。地元の偉人では御祭神として届け出るわけにはいかなかった時代です。その翌年に2,500坪を買収して境内拡張工事に着工し、明治41年に新社殿が完成したさいにも、おそらくは罔象女神(みずはのめ)を祀る神社ではなく、5人の偉人が念頭にあったはずです。

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有馬記念館

社殿や拝殿の瓦に「竜胆車紋」が打たれています。竜胆車紋は、言うまでもなく有馬家の家紋であり、おそらく5人に賜紋(皇室をはじめ格式の高い家から賜った紋)されたのでしょう。

三井郡大刀洗町冨多 大堰神社 - 美風庵だより

どうしても比べたくなるのが大堰神社です。大堰神社の場合は、まず天満宮であり、そこに水神社と地元の偉人を合祀して現在の姿になっているため、ここまで境内もすっきりしていません。境内社などに過去の痕跡をとどめています。似たような神社でも、違いがあってなかなか面白いものです。
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福岡県神社誌:中巻212頁
[社名(御祭神)]水神社(彌都波能賣神、栗林次兵衛、山下助左衛門、本松平右衛門、重富平左衛門、猪山作之丞)
[社格]郷社
[住所]浮羽郡千年村大字櫻井字戸井掛
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2020.05.18訪問)