松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

三井郡大刀洗町冨多 大堰神社


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床島堰 - Wikipedia

五庄屋 (床島堰) - Wikipedia

川岸から遠くなるにつれ土地が高くなり、農民は水不足に苦しんだ。1710年(宝永7年)の大干ばつで、鏡村の庄屋高山六右衛門は郡内の庄屋中垣清右衛門、秋山新左衛門、鹿毛甚右衛門を説得、堰を築くために立ち上がり藩へ願書を提出した。久留米藩も積極的に応援、家臣の草野又六を普請総裁に任命した(普請奉行は野村宗之丞で、総取締役が草野又六)。早田村(現田主丸町八幡)庄屋丸林善左衛門親子も助勢し、地域村民一丸となって働いた。しかし筑前藩の利害を異にする一部の村は築造によって出水の危険にさらされると反対した。また水量が豊かな筑後川を横切る築堤は困難を極めた。大木や巨岩を沈めても水流で木の葉のように流され、石を満載した古舟を沈め、ようやく基礎を固めることができた。こうして1714年(正徳4年)堰は完成、古田、新田2000haが潤った。

(中略)

用水路そばには、草野又六や高山六右衛門、秋山新左衛門、鹿毛甚右衛門、中垣清右衛門、丸林善左衛門の五庄屋の徳をたたえて天神様として水神様とあわせて祀った大堰神社があり、毎年祭事が行われる。

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大堰神社というと、床島堰の築造に関わった偉人を祀る神社というイメージがあったため、古い時代の祭祀を研究するのにはあまり関係がないだろうとアタマから思い込んでいました。

9月28日の訪問日程を組むにあたり、福岡県神社誌を確認していて驚きました。

もともとここにあったのは、天満宮でした。大正12年(1923年)に水神社を合祀し、さらに大正14年(1925年)に床島堰の功労者5名を合祀して、現在の姿となったのです。

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三井郡大刀洗町冨多 老松神社 - 美風庵だより

以前、この大堰神社から徒歩数分のところにある老松神社を訪問した際、菅公を祀る老松神社という一見不思議な存在について疑問があることを書きました。大堰神社がもともとは天満宮であったとすれば、老松神社は境内の外にある関係神社だった可能性がでてきます。いわゆる境外摂社などと呼ばれるものです。

社殿には、水神にふさわしい流れ三つ巴紋が打たれており、天満宮であった痕跡は(少なくとも表向きは)わからなくなっています。とても面白いところだったのだなと、あらためて知りました。やはり調べてみないとわからないことはいっぱいあるものです。
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[福岡県神社誌(抄)] 中巻159頁

[社名(御祭神)]大堰神社(菅原神、罔象女神、草野又六、高山六右衛門、秋山新左衛門、鹿毛甚右衛門、中垣清右衛門、丸林善左衛門)

[社格]郷社

[住所]三井郡大堰村大字富多字東屋敷

[境内社(御祭神)」
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(2019.09.28訪問)