美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

久留米市御井町 高良下宮社


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学生のころ通学途中にあったため、時折手を合わせていた神社です。

飯塚市内野 老松宮 - 美風庵だより

朝倉市上秋月 秋月八幡宮 - 美風庵だより
一段高いところに神殿があり、下々の者を並べて号令を下すための庭がある構造は、すでに秋月八幡宮飯塚市内野 老松宮でもみられたものです。この構造から、この地には相当な権力者が居たことがわかります。

現地の案内板では、高良玉垂命孝元天皇スサノオを祀る神社とされています。ところが、福岡県神社誌では高良玉垂命武内宿禰、物部胆作連命(もののべのいくい)とされているのです。この違いとは……。
福岡県神社誌を再度確認すると、中央が高良下宮社で、正面向かって右が孝元天皇(大日本根子彦国牽天皇)を祀る幸神社、左がスサノオを祀る素戔嗚神社とあります。

どうやら、中央の高良下宮社の祭神を3柱とするかどうかの違いのようです。

拝殿が渡り廊下でつながった3社の脇に、淡島神社があります。

祇園社に疫病退散を願い、医薬の神として事代主を淡島神社でお祀りしていると考えれば、元々の姿は、玉垂命、武内宿禰、物部胆作連命を祀る高良下宮と、玉垂命の父 孝元天皇を祀る幸神社という組み合わせだったはずです。

物部胆咋 - Wikipedia

物部胆作連命がどのような人物かはwikiを参照していただくとして、福岡県神社誌に記載された下宮社の御祭神3柱をどう考えるか、謎は残ります。
武内宿禰と物部胆作連命はあくまでも玉垂命の仮託先で、実際には玉垂命1柱と見るべきかどうか、または、じつはこれが玉垂宮の本当の姿で、玉垂命の左右に住吉大神八幡大神が祀られている見慣れた姿こそ、後世に上書きされた姿なのか……。

少なくとも現地の案内板の理解は、前者の玉垂命1柱説です。

初代住吉大明神 鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)から神器を譲られ玉垂命(筑紫君:開化天皇)に即位する縁を考えると、住吉大神が併せて祀られているのはわかります。八幡大神については、宇佐神宮の勢力下にはいる過程で押し付けられた祭祀ではないのか……。
まだまだ考えてみないとなんとも言えませんが、高良下宮社は玉垂宮の歴史を知る鍵のひとつなのは、間違いなさそうです。
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福岡県神社誌:中巻161頁
[社名(御祭神)]高良下宮社(高良玉垂命、物部膽作連命、武内宿禰
[社格]村社
[住所]三井郡御井町字麓
[境内社(御祭神)]素戔嗚神社(素戔嗚神)、幸神社(大日本根子彦国牽天皇)、天満神社(菅原神)
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(2020.05.06訪問)