飯塚市内野の老松宮を紹介したとき、「一段下がって広場があるのは行宮を模した、王を祀るための形式」と書きました。ほかの実例を紹介します。
むかし農協の支店があったところに駐車させていただき、正面の鳥居から長い参道を歩きます。さすが秋月藩の本拠地にあった八幡宮だけあって、ここの石段は最初は踏み幅がひろく、上にあがるほど狭くなっています。これにより、相当高く登るようにみせかけるのです。
堂々たる構えの神社です。御祭神は応神天皇、住吉大神、高良大神(玉垂命)とされており、赤貧は玉垂命を祀っている点に注目して、何度かお参りさせていただいたことがあります。
社殿と鳥居の間に段差があり、上から下々を見下ろしながら命令できる空間になっているのがおわかりいただけるでしょうか。ちょうど赤貧がお参りしているとき、黒い軽自動車が車道側から入ってきました。窓全開でラジオを聴きながらなにかを買い食いされていました。じつは、社殿裏手から直接車で乗り入れもできるのです。それでは風情がないので、赤貧はやりませんが……。
社殿の背後に、豊受宮(外宮)と神明社(内宮)があるのも、内野の老松宮と同様です。内野の老松宮の場合は、豊受宮ではなく稲荷神社でしたが、社殿の両脇に神宮が控えているつくりは同じです。
赤貧がなにに驚いたか、お分かりいただけたかと思います。
男千木に三つ巴紋と、いかにも八幡宮らしいつくりなのですが、玉垂命と住吉大神が御祭神に居るということは、むかしはここも玉垂宮だったのだと思います。
内野の老松宮の場合は、さきに大山祇神社としての体裁があり、そこに宮地嶽神社がかぶさり、さらに菅公を祀る老松宮がかぶさる構図でした。
かたや秋月八幡宮は、立派な作りの神社なのに摂社末社がすくなくシンプルな配置です。ということは、上書きすべき履歴が存在しなかったことを意味しています。
そしてこの両者は、山の上と平地の違いはあれど似ており、どちらかがどちらかの参考になったと考えてよいでしょう。土師の老松宮と弥山の老松宮の関係に似ています。
(2019.06.09訪問)