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一木の宝満宮は2001年に火災で焼失し、その2年後に再建されました。どうしても建て替えられたものは痕跡が残りにくく、赤貧としてはなるべく後回しにするようにしてきました。自転車ですぐの距離ですが、今回が初訪問です。
再建した際の記念碑によれば、1678年の古文書に一木宝満宮と記載があるとのことで、創建された日は不明ながら、それ以前から存在していたことがわかります。
まず気になるのは社殿横にまとめられた摂社・末社の存在で、天照大神、埴安天神宮こと大幡主(たのかんさー)、乙宮大明神こと田心姫=乙姫=豊玉姫が祀られています。
朝倉市上浦 高天神社(鷂天神社:はいたかてんじんじゃ) - 美風庵だより
すでにほかの日記で触れたとおり、大幡主と天照大神は夫婦だった時期があります。豊玉彦(ヤタガラス)は、大幡主とほかの女とのあいだに出来た子で、豊玉彦の娘が豊玉姫です。義理とはいえ、夫婦と孫が並んでお祀りされていることになるわけです。
社殿の玉依姫は、神功皇后の三韓征伐に加勢して、父、豊玉彦のもとに満珠・干珠を借受にいった神様です。北九州市門司区にある和布刈神社(めかりじんじゃ)では、玉依姫が借り受けた満珠・干珠を使いこなして勝利に導いたのは安曇磯良とされています。玉垂宮神秘書では、使いこなしたのは藤大臣こと、若き日の玉垂命(筑紫君)とされており、いずれがほんとうかは定かではありません。
ただ、いっけん脈絡がなさそうに見えても、しっかりと一族でお祀りされていることがわかります。
赤貧が気になったのは御神紋で、輪宝紋と菊を組み合わせたようにみえます。違うかもしれませんが。
輪宝は仏具ですから、神仏習合の時代に御神紋とされたのでしょうか。
www.genbu.net「玄松子」を見ていただければわかるとおり、玉依姫を祀る樹下宮の御神紋は、菊紋です。輪宝に菊を組み合わせた紋も、玉依姫の御神紋とみて間違いないでしょう。
つまりここに居ないのは、豊玉彦(ヤタガラス)だけだということになります。理由のあることなのか、それとも見落としたのかはわかりません。まだ、いろいろと調べてみる必要がありそうです。
(2019.09.01訪問)