美風庵だより

幻の花散りぬ一輪冬日の中

いきなり難題。

初日、真清田神社と国府宮神社を訪れました。国府宮神社については、まえに一度訪れていることもあって、宮島鳥居、別宮の宗形神社(安曇族!宗像族!)、五七桐紋(筑紫君!)と、九州から移住してきた人々の痕跡を探し当て、古代人の開拓精神を垣間見ることができました。しかし、真清田神社がよくわからない。境内に秋葉社愛宕社、須佐男社に厳島社があって、金山彦・スサノオ・市杵島姫が祀られているとくれば、こちらも九州から移住してきた集団なのだとは思うのですが、中心となる主役が見えない。明治以前に祭神とされていたクニトコタチノカミや現行のアメノホアカリであれば、アメノオシホミミ英彦山)と高木神の娘の子であるアメノホアカリと考えれば簡単なのだけれど、アメノホアカリ説は1730年ごろから唱えられた説らしいので、簡単に飛びつくわけにもいきません。笑われます。

どうやら空襲で丸焼けになり、戦後再建した際に様々な摂社末社を合祀しているらしく、たんに境内のなかだけ見ていてもズバリこれとはいいかねる。

何故、真清田神社が尾張一宮で、熱田神宮が三宮なのでしょうか。

実見してみればすぐわかります。倭国にとって尾張は「終わり」。ここが領土の東端だった時代があって、さきに土着していた集団が居たのです。熱田神が統一のためにやって来たのはその後で、いわば外様。皇室が与える社格は高く建物も社地も立派だが、先にやって来た産土神に一宮を譲らざるをえなかった。一宮の称号を与えて抑え込まなければならないほどの大物が存在したということです。

筑紫君=玉垂命を祀る玉垂宮(高良大社)のような感じでとらえないといけないのかもしれません。ではそれがクニトコタチノカミなのか?それは違うような……