松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

うきは市浮羽町朝田 天満宮


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朝田天満宮の楠 文化遺産オンライン

朝田天満宮は亀山天皇の文永8(1271)年、生葉郡主問註所三善朝臣康行が社殿を創建。道真公の霊を勧請して氏神とし、神田一町五反を寄進した。

福岡県神社誌の説明文も書きぶりは違えど中身はおなじで、どこかキツネにつままれたような印象を受けます。

問註所氏 - Wikipedia

『公卿補任』に「三善清行。淡路守従五位下氏吉の三男。母佐伯氏」とある三善清行の後裔の三善康信が鎌倉幕府の問註所執事となり筑後生葉郡に所領をえる。子の康俊が大友能直の後見として九州に同行する。
その孫の康行が正和2年(1313年)鎌倉から九州に下向し土着、筑後国生葉郡を領し、問註所康行と名乗ったのがはじまりである。

三善氏 - Wikipedia

元は漢の東海王の末裔であった波能志(はのし)の子孫で錦部村首、後に錦宿禰を名乗った。貞元2年(977年)頃に三善朝臣の姓が授けられ、その1人であった三善茂明が主税頭兼算博士に就任し、その子孫は代々算博士を継いだ。茂明の孫の三善為長は、越中国出身の門人射水為康を養子に迎えた。三善為康は算道・紀伝道に通じた学者として多くの著作を残している。その子孫である三善長衡以後、代々西園寺家家司を務めた。地下官人の今小路家はその子孫とされる。
また、鎌倉幕府の初代問注所執事となった三善康信もこの一族

(略)

三善氏には2つの系統があり、紀伝道を世襲した三善氏と算道を世襲した三善氏は別系統であったのは史料等で明らかであるが、後年後者の子孫は自己の学識の由来を高く見せるために高名な学者・公卿である三善清行と結び付けようとした

三善氏の系統はいずれも百済系・漢族系の渡来人が先祖とされており、敢えて菅公を氏神に据える理由がわかりません。自分の父母(とその高名な先祖)を祀るなら氏神でしょうが、いくら有名でも他家のおっさんを祀るわけにはいきません。

あり得るとすれば、元からこの地に根強い菅公信仰があって、土着した(仲間入りした)ことを示すため、でかい神社を建ててみせたか、です。可能性は低いのですが。

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自分が最初に見つけた鳥居と別の場所に、おそらくは旧道に面して鳥居が建っています。鳥居の隣が文化財データベースに記載されているクスノキでしょうか。根っこが恐ろしいほど立派です。

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立派な御神牛のブロンズ像です。牛の身体は梅鉢紋が打たれています。これが御神紋なのでしょう。

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社殿向かって右手に、お稲荷さんと秋葉社があります。

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社殿向かって左側に、琴平神社と老松神社があります。

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さらに進み、社殿向かって左脇あたりに来ると、一段と立派な石祠がありました。横にある碑文をみると、どうやら大山祗神社のようです。福岡県神社誌には記載されていません。

本殿が最初から天満宮ではなく、大幡主(神皇産霊神、埴安命、博多のお櫛田さん)を祀る天神社だったとしたら?大山祗(月読命)の子で、大幡主の入り婿が大国主です。

最初から天満宮だったのか?疑問を感じながらあとにしました。いずれ調べてみる必要がありそうです。

福岡県神社誌:中巻262頁
[社名(御祭神)]天満宮(菅原神)
[社格]村社
[住所]浮羽郡御幸村大字朝田字西菰上
[境内社(御祭神)]記載なし。
[摂社(御祭神)]老松神社
[末社(御祭神)]猿田神社、稲荷神社、金刀比羅神社
(2021.05.01訪問)

うきは市浮羽町朝田 椿山神社


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ゼンリンなどでは「椿山神社」となっているのですが、現地を訪問するとどうみても仏教の御堂です。ほぼ手付かずの線香が供えられ、社殿両脇に「御仏灯」がしまい込まれていますので、この理解で間違いないと思います。

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神社には滑り台がビルトインされており、その横に、おそらくは元々の登り口であったと思われる石段がありました。

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裏手にまわると、お地蔵さんや観音様がずらりと並んでいます。

浮羽歴史民俗資料館 古墳めぐりウォーキング

山歩き 古墳巡り 椿山古墳

どうやら石積みの築山は、「椿山神社古墳」と呼ばれる古墳のようです。よく見ると石室の入り口があったようなのですが、まったく気づきませんでした。どうなっているのやら?いずれ再訪した折に、あらためて良く眺めてみようと思います。

福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.05.01訪問)

10月3日の日録

昼から飯塚方面に出かけ、そのまま「神社めぐり」の取材をすることにしました。

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いつもの日曜と同じく、こ汚いベランダの鉢植えいじりをします。今日は花が咲きかけているヨモギを刈り取りました。

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ヨモギは根っこだけ残しておけば来年また生えてくるため、地際で鋏を入れます。しごいて枯れた葉っぱをとり、こちらはポリ容器に入れて腐葉土にします。

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白いのがこれから熟す前の花です。刻んで鍋でグツグツと煮て、煮汁は入浴剤につかいます。漢方薬で「艾葉(がいよう)」とされるものは、花の穂がつくまえに刈り取り、乾燥させたものです。ヨモギの薬効は、香りをはなつ油分に含まれており、もっとも葉が充実している花の穂がつくまえに刈り取るのがベストなのですが、ズボラしてしまいました。

ヨモギ - Wikipedia

8 - 9月ころに、地上部の茎葉を刈り取って刻んで干したものは、布袋に入れて浴湯料として風呂に入れると、肌荒れを防ぎ、痛みを和らげ、保温に役立つ効果があるので、あせも、肩こり、腰痛、神経痛、リウマチ、冷え症に良い

季節の変わり目で体調がすぐれないかたは、試してみるとよいかもしれません。異常なほど温まるのはたしかです。

 

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昨日、投資信託の積立設定を見直す際、冗談で、0歳ではじめて99歳まで積み立て、をシミュレーションに入力したら、えらい数字が出ました。

毎月1万円ずつ積み立てると、99歳の満期で7億7千万、96歳時点でも1,152万円が、6億5千万に化けるというのです。

むろん、皇室制度すら怪しくなってきた現在の政治体制がこのまま続くかとか、そもそも証券会社や投資顧問会社が生き残っているのかとか、ツッコミどころは満載です。しかし、基本的にはコツコツが勝つ、ということなのでしょう。

未成年口座開設 | 口座・管理 | 松井証券

未成年口座の開設方法を教えてください。 | よくあるご質問(Q&A) 松井証券

そう考えると、子や孫が出来たら、月々1,000円でよいので、口座を開設し、こつこつ投資をしてあげるのがよい、ということになります。

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ちなみに、同条件で0歳から20歳までをシミュレーションすると、240万が459万円になるとのこと。引き継いだ約450万を、ぱあっと使ってしまうか、ここから7億まで育てられるか、そこから先は、我が子や孫次第ということになるのでしょうが。

 

午後から飯塚に出ました。飯塚と聞いて、てっきり新飯塚駅から勝盛公園にかけてのむかしながらの飯塚市中心部と思い込んで準備していたところ、事前に、googleマップで目的地を送らせたら、なんと旧穂波町でした。平成の大合併から十数年、20代前半からみると、旧嘉穂郡部も飯塚市で間違ってはないのですが、紛らわしいですよね……。

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今回は急遽、椿八幡宮とその周辺の神社・お堂めぐりを組むことにしました。

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椿八幡宮の駐車場に停めさせてもらい、折りたたみ自転車を組み立てて、お宮めぐりをします。椿八幡宮のほか、ぜんぶで4社まわりました。

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その後、内住川付近に車を停めさせてもらい、安恒天神社を訪問しました。これで計5社、今日は回らせていただいたことになります。

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モスバーガー福岡穂波店 | 店舗案内 | モスバーガー公式サイト

途中、モスバーガーでフィッシュバーガー+ポテトLセットを昼飯にいただきました。

フィッシュバーガーの白身フライと、玉ねぎと、マヨネーズの組み合わせは、定番です。いつ食ってもまずはずれがありません。

吉川英治 私本太平記 あしかが帖

熱々のポテトは苦手なので、フィッシュバーガーを食ったら、しばらく吉川英治さんの「私本太平記」を読みながら冷めるのを待って、コーラと一緒にいただきます。

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小正西古墳 - 古墳マップ

直径約30m・高さ約5.5m、2段築成の円墳で葺石・埴輪・周溝を備える。埋葬施設は2基の横穴式石室で、主軸を直交する形で構築されていた。北西に開口する1号石室は長さ約4.5m・幅2.1~2.9m、盗掘に遭っていたが、玉類や鉄刀、鉄鏃、馬具などが出土した。南西に開口する2号石室は長さ約2.6m幅0.7~1.3m、未盗掘で4体分の人骨のほか銅鏡(珠文鏡)や玉類、鉄刀、鉄鏃、工具などが出土した。6世紀頃の築造。県指定史跡、1999(平成11)年指定。古墳公園内に保存・整備されている。出土品も県の有形文化財・考古資料に指定され、飯塚市歴史資料館に収蔵されている。

小正西古墳公園にも立ち寄りました。

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公衆トイレを借りると、なんとトイレの中に監視人が居ました。

うきは市浮羽町朝田 天満神社


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鳥居がある舗装路を、うっかり突き抜けてしまいました。神社が見あたりません。

往復するうちに、注連縄のかかった建物を発見しどうやらこの集会所っぽいのが、神社なのだと気づきました。

どうやら菅公を祀る天満宮らしいのですが、事実上集会所なのでとうぜんなかには立ち入れず、玄関だけ撮影してその場を立ち去りました。

福岡県神社誌:下巻423頁
[社名(御祭神)]天満神社(菅公)
[社格]無格社
[住所]浮羽郡御幸村大字朝田字田中
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.05.01訪問)