松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

朝倉郡筑前町三箇山 五玉神社 再訪


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朝倉郡筑前町三箇山 五玉神社 - 美風庵だより

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三箇山地区黒岩集落の少彦名神社を訪問した帰り、五玉神社を再訪しました。前回が昨年6月8日ですから、ほぼ1年ぶりになります。

前回は、黒髪の井戸の伝承からおそらく本来の神様は女神1柱のみであり、宝満山修験道流入してきたことで、いろんな神様があとから入ってきたのだと解釈して終わりにしていました。

あれから1年、各地を巡ってみて、どうもこの黒髪の井戸の女神とはイザナミではないかと思い始めています。

まだ確信というほどではありませんが、現時点での理解は以下のとおりです。

(1)熊野速玉神とは、イザナミの再婚相手である大幡主のことを指します。熊野信仰とは、その根底において大幡主(別名:博多のお櫛田さん、タノカンサー、神皇産霊神、埴安命、国常立命)信仰なのです。そしてその脇を、娘婿の大国主(大己貴)とその相棒 事代主(えびす様)が固めています。

(2)イザナギは御承知のとおり前夫です。

(3)天之忍穂耳は英彦山修験道から持ち込まれたものか、(ごまかすため)大幡主とイザナミのあいだの子 豊玉彦を上書きしたものでしょう。天之忍穂耳も豊玉彦も、高木大神(高皇産霊神)の娘を妃にしています。すり替えやすかったのでしょうか。

創建は1400年ごろとありますが、おそらく原型はもっと昔から存在していたはずです。

1年前に自分が書いたものを読むと、熊野速玉神イザナギとしていたり、通説にひきずられていたことが判ります。こんな判りやすい配神が判らなかったとは……恥ずかしいかぎりです。

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福岡県神社誌:下巻409頁
[社名(御祭神)]五玉神社(熊野速玉神大国主神事代主神伊邪那岐命、天之忍穂根命)
[社格]無格社
[住所]朝倉郡夜須村大字三箇山字藤原
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2020.05.10訪問)

朝倉郡筑前町三箇山 大山祗神社(少彦名神社)


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福岡県神社誌では、現在の筑前町三箇山地区に4つの神社があることになっています。そのうち2社はすでに訪問済みだったのですが、残る2つの場所がわからずに放置していました。

ゼンリンで少彦名神社を発見し、念のため訪問してみることにしました。

現地に筑前町教育委員会が立てた案内板があり、案内板の住所と福岡県神社誌に掲載されていた大山祗神社の住所が一致したため、この少彦名神社が、戦前発行の福岡県神社誌でいう大山祗神社なのだろうと判ります。

なんせ70年前の本ですので、御祭神が入れ替わっていることは珍しくありません。要は、とおりの良い御祭神名で公的な届け出をして、現地では元々の祭祀を行っていたりするケースです。

(こんな山のなかで、山の神より少彦名命(事代主:えびす様)とは……)

石段をあがろうとして驚きました。ほとんど踏み幅がありません。どうやら道を拡幅する際に、神社側に土地を削って、石段を作り直しているようです。やっとのことで社殿にたどりつくと、御神像が2つあります。敢えて画像を掲載するのは控えますが、かたほうは白っぽい木像で、少彦名(事代主:えびす様)の雰囲気はありません。脇に鯛を抱えたおなじみのかっこうではないのです。もう片方は黒い衣装に赤い顔、これも少彦名という感じではありません。

ほかに何かないか探ってみると、天保年間(1831年~1845年)の記載がある木札に「再建蔵王権現社」とあります。つまり明治になるまで、地元の理解は蔵王権現だったようなのです。

となると、この御神像のうち、顔が真っ赤なのはおそらく金山彦だろうと見当がつきます。あとの白っぽい柔弱な雰囲気の御神像は、いったい誰なのでしょうか。

少なくとも、少彦名命(事代主)や、大山祗ではありません。あくまでも仮定とお断りしますが、もしかするとここは、金山彦の孫(つまり奇稲田姫の子)である長髄彦(ながすねひこ)を祀っているのかもしれません。修験道蔵王権現の姿でカモフラージュされていますが、ここに鉱山の伝承があるのであれば、金山彦を継いだ長髄彦への祭祀が残っていると考えられるのです。
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福岡県神社誌:下巻409頁
[社名(御祭神)]大山祗神社(大山祇命
[社格]無格社
[住所]朝倉郡夜須村大字三箇山字岩原
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2020.05.10訪問)