松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

7月26日の日録

【本日の所持金:29,232円】

生活困窮者です。

宇垣美里、シースルーで肌見せドレス姿「スケスケ」「美しすぎて尊い」 | ORICON NEWS

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齢50が近くなって言うことではありませんが、最近、じつはこの手の顔が好みなのではないかと思いはじめてきました。

昨日、仕事と病院から戻る途中、コンビニに立ち寄ったら、なかなかかわいい店員さんが居ます。

誰に似てるんだっけ?としばらく考えて、思い出しました。

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10年以上むかし、以前の仕事場で支給された長靴をずっと使っていました。先日、大雨警報でいまの仕事場の出先に待機することとなり、久しぶりに履くと、中が濡れます。長靴なのに、濡れます。

どうしたことだろう?と思っていたのですが、その数日後、町内会の関係で使用したとき、はっきりと側面にひびが入っているのを見つけました。経年劣化のようです。

さすがにこれでは使い物にならないため、新しく、月星化成の長靴を購入しました。

最初「薄くてソフトな使い心地の物」をお店で勧められたのにはビックリしました。丈夫じゃないといけない長靴が「ソフト?」「薄い?」とは?お店の方に、ふつうの長靴を出してもらいました。安心の月星化成の製品です。中国製ですが。また10年くらい使えるといいですね。

 

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天気予報が各社で異なり、曇りのところもあれば、時々雨となっているところもあります。念のため雨具をバックパックに詰めて、自転車で神社めぐりを行いました。

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NHKの全国放送で放映されていた片の瀬橋付近は、水は引いたものの、さすがに自転車道の掃除までは手が回らないようで、泥が積もっていました。手前の駐車場では、家族連れ?団体?がバーベキューを楽しんでいます。日常が戻ってきた部分もあれば、爪痕が生々しく残っている部分もあり、まだ7月7日の大雨から3週間経っていないことをあらためて感じます。

大城橋方面へ向かうのを諦め、当初考えていた順番と逆に、先に久留米市草野町吉木地区の若宮八幡宮から訪問することにしました。

久留米市立大橋小学校の手前、土地改良された四角の田んぼがずらりと並んでいるのですが、あきらかに稲が直立していません。この辺り、どうやら巨勢川が溢れて浸かったようです。

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JR久大本線の踏切手前辺りで、耳納山地に怪しい雲がみえてきました。ぽつぽつと、小雨が落ち始めます。念のため雨具を持ってきてよかったと思いつつ、しばらく走っていくと温い風と冷たい風が交互に吹き付け、だらだらと汗がしたたりはじめました。湿度があがってきて、汗が乾かなくなってきた証拠です。

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若宮八幡宮に向かう途中、坂がきつくなり、自転車を押して現地に向かいます。

果樹園の合間から、草野(吉木地区)の町並みがよく見えます。ブログの題材用に、自転車を停めて一枚撮影したところで、目に火花が飛び、頭痛がしはじめ、その場で転びました。さいわい、自転車はスタンドを下ろしていましたから荷物の散乱はまぬがれましたが、起き上がれません。吐き気がします。熱射病です。

熱射病の鉄則は、日陰に連れて行って、水をかけて身体を冷やすことです。

日陰もなければ、かける水もありません。あるのはペットボトルのコーヒーだけです。そんな量で身体は冷えません。とにかく座って、耳鳴りがやむのを待つよりほかはなく、近くの石垣に腰かけてじっとします。

今回、えらく帰り着くまでに時間がかかっているのは、ここでかなりの時間を消費しているからです。しかたがありませんね……。

めまいが落ち着き、舗装された道をあがっていくと、久留米市草木町吉木地区の若宮八幡宮の駐車場でした。椅子があるのをみつけてここでさらに休憩しました。

 

いちおう予定どおり9か所訪問しましたが、頭痛と耳鳴りがするなかでの神社訪問はなかなか厳しいものがありました。文章にするまえに再訪するところが出てくるかもしれません。

 

小雨がパラついたり、止んだりを繰り返すなか、なんとか善導寺まで帰り着くと、本格的に降ってきました。シャッターが閉まっている軒先を借りて、雨具を上だけ着込みます。

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善導寺から北野町にかかる歩道橋(加月食堂のあたり)で、一枚撮影してみました。

このあとずっと降りっぱなしのなか、12kmほど走ったことになります。

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帰宅して雨具を含めて着ていたものをぜんぶエマールで洗い、靴は脱臭を兼ねて重曹を溶かして洗い、ベランダの物干し台にひっかけて干します。

行きも帰りもエライ目にあった今回の神社めぐりでした。ひと眠りしてポツンと一軒家を見てから、さっそく文章にまとめることにしました。

久留米市御井町 水分神社(高良大社 奥宮)


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古くは高良廟(別所)とされ、玉垂命の墓所とされていました。
福岡県神社誌では、高良神社(高良大社、高良玉垂宮)の摂末社 水分神社が、おそらくはこの神社のことだと思います。
現地は毘沙門天を祀るお堂としてつくられており、赤貧が訪問したときも、ろうそくが供えられ、線香の香りが漂っていました。
この地がほんとうに玉垂命の墓所であるかどうかは、さだかではありません。ただ、尾根を下った高良内に複数の墳墓が存在することを考えると、大王の霊を祀る場所であった可能性は常に頭にいれておくべきでしょう。

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国土地理院の地図を見ていると、高良内側から直接奥宮に登るルートもあるようなので、墳墓を見下ろす位置に精神的な中心地としてつくられたものという仮定に妥当性があるかどうか、実際に歩いて考えてみようと思います。

(注)福岡県神社誌については、本社である高良大社分の内容を掲載します。----------------------------------------
福岡県神社誌:上巻51頁
[社名(御祭神)]高良神社(高良玉垂命八幡大神住吉大神
[社格]国幣大社
[住所]三井郡御井高良山
[摂社(御祭神)]高良御子神社(朝日豊盛命、暮日豊盛命、斯礼賀志命、渕上命、谿上命、那男美命、坂本命、安志奇命、安楽応寶秘命)、豊比咩神社(豊玉姫命
[末社(御祭神)]真根子神社(壱岐真根子命)、印鑰神社(高良神社の印鑰)、稲荷神社(倉稲魂命)、愛宕神社(加具土命)、御祖神社(天照大神)、天満神社菅原道真公)、八幡神社応神天皇)、琴平神社大国主命崇徳天皇)、厳島神社市杵島姫命)、水分神社(水分神)、味水御井神社(水波能売神)
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(2020.05.06訪問)

7月25日の日録

【本日の所持金:31,522円】

五島勉さん追悼として、こつこつ再読しています。意外と時間がかかるのは、思い出すことが多いためです。ひとつひとつ調べながら読み進めています。

「実説大予言」も、ほぼ同時期に刊行されたものです。こちらは西丸震哉氏との対談がメインになっていました。地球はこれから氷河期に突入し、食料の確保が難しくなって、日本のような自給率の低い国は亡ぶ、といった内容だったかと思います。この本で、西丸氏は食品添加物の危険性についても触れていました。

西丸氏の名前に次に触れたのがこの本で、生活困窮者が高校生くらいだったかと思います。食品添加物などで身体がやられ、平均寿命は41歳になるだろうという内容で、当時、ずいぶんと話題になりました。いまになってみれば、短命化の陰りもみえず、むしろ平均寿命は伸びています。氷河期どころか、温暖化で暑くて死にそうです。

食品添加物否定といえば、これも一時期売れた本です。味の素やアスパルテームをはじめ、あれはダメこれもダメと発狂しまくった本でした。この本が出てから20年経ちますが、あいかわらず味の素もアスパルテームも存在します。本当に害毒なら、死者がでて発売禁止になってもおかしくないはずです。過激に書いて耳目をあつめてカネを儲ける、立派な炎上商法ぶりは、五島勉さんの「大予言」シリーズや、西丸氏の著作に通底するものがあります。

これらが売れたことを考えると「人間は不幸になりたがる生き物」なのかもしれません。

https://www.aska-corp.jp/aska_science/index-21.html

買ってはいけない」の共著者だった船瀬俊介氏は、まだまだ御健在のようです。

上記のホームページの「クスリは飲んではいけない」には、こうあります。

アメリカの死亡原因のトップは“病院”です。現代の病院は、患者を治す所ではなく、“殺す”場所になっているのです。いわば、有料人間屠殺場です。医者や看護士は、さしずめ、屠殺場で働く白衣の職員です》

生活困窮者は、インフルエンザに過去2回かかったことがあります。2度目は、タミフル登場後でした。タミフルの処方をうけ、数日寝て職場に復帰しました。一気に楽になったのを実感し、これが医学の進歩かと驚いたものです。

突発性難聴に襲われたときも、1か月服薬して回復しました。あのまま片耳が聞こえなくなっていたら……。

病院はその性格上、一般家庭や職場より死人が出る確率が高いのは、子どもでもわかります。手遅れになったひとが救急車で運ばれてくる場所なわけですから。死亡「場所」のトップを死亡「原因」のトップと言いかえるのは、有害電波というよりわざと書いているとしか思えぬ中傷です。

よくまあ起用を続ける会社があるものだとホームページを眺めていて、気づきました。

「天然」「自然」がずらりと並んでいます。要するに、そういうのを求める客に訴求して商売をやっている会社なわけです。売れるためには、周囲よりももう一段過激に主張して、目立たないといけない。それを実践しているもの同士が、手を組んだということなのでしょう。

と、こんな感じで、過去を反省しつつ寄り道ばかりしているため、肝心の「大予言」の再読がすすみません。

 

 今日は11時から建物の電気保安点検ということで、立会に行きました。

14時ごろに終わって、今度は、痛風の薬を処方してもらいに、近くの病院に行きました。

玄関に入る手前で検温しているのは、5月に薬を処方してもらいに来たときとかわりません。検温してくれている女性の前に立つと、かなり上からの態度で「手を洗ってください」と言われます。

「どこで洗うの?」

「うしろ」

振り向くと、小さな流し台が設置されています。

「5月に来たときはこんなのなかった。どんどん増えるね」と言うと、やっと女性がすこし笑います。

「6度8分ですね。なかにどうぞ」と言われて、受付に向かいます。

処方箋を出してもらい、外に出て門前薬局に向かう途中に「発熱のあるかたは入らないでください」という看板を見かけました。どうやらここの病院、徹底して厳戒態勢のようです。インフルエンザが流行している時期は、進行方向の矢印と「発熱のある方は裏口で受付します」の記載がある看板が立っているのは目にしていましたが、まさか締め出し宣言ですか……。

コロナのせいか、それとも土曜日の昼からはもともと少ないのか、ほとんど待たずに中に呼ばれました。

門前薬局で「お薬余ってませんか?」と声を掛けられました。

「たしかに余ってますね」と返事をして、「1月おきに病院来てるけど、10週分処方してもらってるから、余りますよね」と言い加えます。「持参いただくと、調整しますから」と言われて薬局を出ました。

 余った薬を客に持参させてその分売るのを減らしたら、収入が減るのではないか?と思いましたが、突っ込まないことにしました。もしかすると知らないところで「~加算」とかやってるかもしれませんし。

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どうやら26日は雨が降らないようなので、帰宅して「神社めぐり」の経路を考えます。地図の青い表示が、これまでに「神社めぐり」シリーズで訪問した各地の神社です。自転車で行ける範囲は、だいたい行きつくしたのがおわかりいただけるかと思います。明日は、黄色い枠で示した範囲(久留米市山本町)あたりを往復してみたいと思います。

久留米市御井町 高樹神社


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高良大社に向かう途中にある、赤い屋根の神社です。ここが高木大神(高皇産霊神)を祀る高樹神社であることは以前から知っていたのですが、足が向かず、なかに入ったことはありませんでした。
久留米に在住していた時代ふくめて、今回が初訪問です。

福岡県神社誌では明治6年(1873年)に郷社に比定されたとあります。それほど由緒正しいお宮なら、もっと大きな立派な社殿でもよいのでは……。

そう思いつつ案内板をのぞき込みます。

玉垂命が入る前、高木大神(高皇産霊神)をこの地では高牟礼権現と呼び、地主神としてお祀りしていたとあります。学生のころ、たしかにこの話は聞いたことがありました。玉垂命が山上に結界を張り、戻れなくなったという話を、何の気なしに聞き流し(読み流し)、深く考えずにいたのです。
神社めぐりをするようになり、玉垂宮神秘書を入手していろいろと読むようになってみると、この高樹神社の重要性がわかってきます。

赤貧は古田史学の会などの古代史関連の研究会とはまったく無縁です。ホームページで公開されている情報をもとに彼らの動向を参考とするくらいなのですが、どうも玉垂命を筑後の三瀦あたりを拠点とした一族で、高木大神(高皇産霊神)との勢力争いの境目が筑後平野と考える向きが多いように思えます。南から北へ勢力を拡大したと考えるもので、赤貧もむかしはそれを当然のごとく受け入れていました。

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しかし、私たちは玉垂宮神秘書で、藤大臣 阿部相凾(あべのしょうかん)は四王寺山で初代住吉大明神 鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)から神器を譲られ、玉垂命(筑紫君:開化天皇)に即位したことを知っていますから、むしろ北から南へ勢力を拡大し、拠点として筑後の支配を固めたのだとわかります。

そして、同じく神秘書には、彦山権現は「敵」だとも書かれています。現皇室(崇神王朝)の祖である高木大神(高皇産霊神)+天之忍穂耳(英彦山)が敵だというのだから、穏やかな話ではありません。

決して伝承にあるような「宿として借りた」なんてものではなかったはずです。筑後平野を一望できる高良山を、九州王朝(ヤマト系=神武天皇・玉垂命直系)と現皇室の一派(イリビコ系・ワケ系)勢力が奪い合ったガチンコの抗争としか思えません。
この高樹神社は、郷社と呼ぶにはあまりにも貧相で、無格社でももっと立派なものがいくらでもあるほどですが、まさに歴史の証人として、高良大社の表参道の前に、鎮座しているのです。
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福岡県神社誌:中巻159頁
[社名(御祭神)]高樹神社(高皇産霊神
[社格]郷社
[住所]三井郡御井町字神籠石
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2020.05.06訪問)