松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

飯塚市弥山 老松宮

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飯塚市(旧筑穂町かつ旧内野村)弥山地区にある老松宮を実見することができました。
iPhonegoogleマップである程度、見当をつけたはずなのですが、現地に行くと田天神社と扁額があり、間違えたか?という気になります。すこし石段をあがると、今度は老松宮とありびっくりしてしまいます。

この老松宮は桂川町土師にある老松宮と祭神は同じで、大国主、大物主、事代主、菅公、吉祥女(菅公の嫁)を祀っています。

桂川町土師にある老松宮には「最初は大国主を祀り、つぎに大物主を祀り、太宰府天満宮領となって菅公を祀るようになった」という由来がありますので、同じ流れで弥山の老松宮もとらえてよいと思います。

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境内は思いのほか広く、比較的大きな摂社が、どうやら田天神社のようです。

社殿をのぞきこみ、老松宮の扁額の立派さに驚いていると、社殿に伴神の木像があるのに気づきます。

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社殿は覆屋(鞘殿)があり、県南でよく見る様式です。天満宮領になり「老松宮」に上書きされる前は、大国主や大物主が支配した時代もあったでしょうが、まず、大山祇と大幡主を祀る田天神社だったのではないでしょうか。

地元の方もそこは理解されているようで、最初の鳥居の扁額だけ真新しいのも、それが理由のようです。

(2019.06.08訪問)

名古屋市熱田区 熱田神宮

goo.gl熱田神宮も何度も訪れています。名古屋都心から手ごろな場所にあるため、いつも参拝者であふれている場所です。
名古屋を出立するまえに、新しい御神札をいただきにあがろうと思っていたのですが、内宮・外宮を見たあと、どう解釈するべきかヒントをもらいに、繰上げて15日の夕方に訪れました。ここに到着したころには、ほとんど雨も上がっていました。

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一の鳥居をくぐると広大な社殿があります。手前が広場になっている形式は、ここが住民や臣下に命令をする場所であったことを示します。すくなくとも、ここに祀られている神は、そのような立場のかたであったということです。

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一の鳥居の両脇に、東八百万社と西八百万社があります。末社としての格は高くないようですが、ほんらいの神宮としての領域を守備しています。逆に言えば、これ以外の摂社末社は、一括で管理されているけれども独立性の高い存在だとみなせます。

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上知我麻神社 | 初えびす 七五三 お宮参り お祓い 名古屋 | 熱田神宮

16日、あらためて出直し、熱田神宮境内の上知我麻神社にお参りしました。社伝では乎止與命を祀るとされています。日本武尊の妻の父とされています。

一瞬わからなかったのですが、大国主(=大己貴)と事代主が両脇に控えているということは、大幡主のことでしょう。博多の櫛田宮で、スサノオと一緒にお祀りされています。

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参道から一歩入ると手入れされた森が続いています。この景気だけでも、ここに来る価値がありそうです。

スサノオを祀る南新宮社の横に、曽志茂利(ソシモリ)社があります。

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「そさのをの尊、その子五十猛神をひきゐて、新羅國にくだりまして、曾尸茂里の處にましくくて、…」(『日本書紀』(巻第一神代上第七段一書4)
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とあり、スサノオ天照大神に追放され逃亡した先は朝鮮半島で、そこから再起して日本に戻ってきたということがわかります。追い出されたらなぜ逃亡先が朝鮮半島なのか?

決して北海道でも琉球でもないところに、当時の日本の中心がどこにあったか、見えるようです。

(2019.06.15-16訪問)