過去に「神社めぐり」に掲載するため作成した文章です。現在ではリンク切れとなっている箇所や、すでに情報が古い部分もありますが、再取材はせず当時のまま掲載します(注記:2024.08.25)
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通常、山神社は集落の最上部に鎮座することが多いものです。しかし、ここは不思議なことに民家のほうが高い位置にあります。元は山上にあったものをこの地におろしてきたものなのか、それとも最初から「下り宮」としてつくられたものなのか……。
注連縄飾りが鶴のかたちをしています。なかなか見かけないおもしろいデザインです。
拝殿正面向かって右側、戸を取り外すと舞殿としても機能するようになっています。手水鉢には、山の湧水が直接引き込まれ、新鮮なかけ流しで手を洗えるようになっています。
それにしても、拝殿前が道路というのはこれまであまりなかったのではないでしょうか。
一段高いところにある境内社は、御神狐像があるところをみると、お稲荷さんでしょうか。
福岡県神社誌には、境内社として菅原神社のみ記載があります。この祠がそうでしょうか(近づいてみましたが社号等はわかりませんでした)。ほかの石碑は文字が視認できませんでしたが、庚申塔か五穀神か……。
現地で福岡県神社誌を読み返して気づいたのは、大山祇といっしょに磐長姫が祀られている点です。記紀では木花開耶姫(このはなさくやひめ)といっしょにニニギに嫁ぎ、ブスだったので返却されたとかいう、とんでもない話に出てきます。
この磐長姫というのは、おそらく誰かの変名で、木花開耶姫と実の姉妹でもなんでもない、記紀の編集上系図をでっち上げられた存在だと推測しています。もし磐長姫が祭神であるなら、ここは大山祇を祀る山神社ではもともとなかったのではないか?という気もするのですが。
福岡県神社誌:中巻135頁
[社名(御祭神)]大山積神社(大山津見命、岩永姫命、五穀三神)
[社格]村社
[住所]早良郡脇山村大字小笠木字栗原
[由緒]不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
[境内社(御祭神)]菅原神社
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2023.03.18訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。