過去に「神社めぐり」に掲載するため作成した文章です。現在ではリンク切れとなっている箇所や、すでに情報が古い部分もありますが、再取材はせず当時のまま掲載します(注記:2024.08.25)
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現地をはじめて訪れ気づいたのですが、隣のお堂が気になります。
950年 性空上人により造作
1462年 火災に合う、修理再建
1670年 又火災に合う
1712年 現在地に再興
上記のWEBサイトに詳細があるのですが、途中空白はあるものの、1,000年以上祀られている不動明王ということになります。
開眼以来一〇五九年にわたり法灯を相続しているなかで、早良郡出身で、第二十代天台座主になった餘慶上人(九一九~九九一)は脇山村に明王院を開創し横山三社宮と共に祭祀した。早良郡内神社、寺院の統轄寺であった。しかし、室町、江戸時代二度の火災に会い堂宇全焼。不動明王座像のみ難をのがれたが堂宇復興ならず受難の時代が続いた。その後、江戸時代一七一二年不動明王は縁あって広瀬三社宮境内に迎えられ現在に致っている。(二〇〇九年現在)
両方をあわせて読むと、どうやら「三社宮」に縁があることがわかります。
地元小学生の研究発表がお堂の横に貼られており、勉強させていただきます。
鳥居正面が「三社宮」で、福岡県神社誌では「熊野神社」として掲載されています。
三社宮
祭神
熊野神社(本山 和歌山県)
熊野 本宮大社 速玉大社 那智大社 三大社を総称して熊野三山・熊野大社三社宮と称す神徳
国土安穏・厄除・開運招福縁起
山岳重畳と連なる和歌山県に鎮座さるる熊野三山熊野信仰はこの熊野三山を構成する本宮・速玉・那智に対する崇敬である
熊野は平安末期から全国的な信仰を集め多くの巡礼者がこの山岳霊場をめざし歩を進め遠く九州・東北にわたり信仰が拡まった
我々は自然の象徴として山を神格化してきたがこの山岳信仰は山岳修験道 神仏習合的色彩の強い熊野三山として一体的に発展してきた
又、本地垂迹思想の影響により祭神が仏教上の神と同一視され本宮は阿弥陀如来速玉は薬師如来那智は千手観音と見なされた
このように本源的な自然信仰のうえにさまざまな文化的要素がミックスされて今日にいたっている 西国三十三観音霊場の一番札所として那智山の青岸渡寺が選ばれるなど現当二世の安穏を祈念する信仰の里熊野三山は神仏習合の霊場として生き続いている
深山幽谷にあって抜群の祈願成就力の発揮を約束される熊野の神は我々現世を力強く生きていく救済の神である広瀬 氏子中
現地案内板に、社殿脇のお宮や三社宮の由来についてなにかないか読んでみましたが、熊野信仰そのものについての説明です。
三社権現社(神殿方5尺・拝殿2間3間・祭礼9月9日・奉祀長尾信濃)
産神也。祭る所、伊弉冊尊・事解男命・速玉男命三座也。 永正10年(1513)の秋、脇山村より勧請すといふ。
さきのWEBサイトに、このような引用がありました。
512 | 無格社 | 宇賀神社 | 早良郡脇山村大字小笠木字舟引 |
513 | 無格社 | 鏡神社 | 早良郡脇山村大字椎原字上野 |
514 | 無格社 | 市杵島神社 | 早良郡脇山村大字脇山字大門 |
515 | 無格社 | 日吉神社 | 早良郡脇山村大字脇山字谷 |
516 | 無格社 | 十二社神社 | 早良郡脇山村大字脇山字谷口 |
517 | 無格社 | 天満宮 | 早良郡脇山村大字脇山字門戸口 |
3208 | 村社 | 大山積神社 | 早良郡脇山村大字小笠木字栗原 |
3209 | 村社 | 山神社 | 早良郡脇山村大字板屋字ウト |
3210 | 村社 | 大山積神社 | 早良郡脇山村大字椎原字竹ノ尾 |
3211 | 村社 | 横山神社 | 早良郡脇山村大字脇山字大門 |
ところが、福岡県神社誌で早良郡脇山村の神社を調べても「熊野」の文字はありません。さきの「三社宮」をキーワードに地図をながめていくと、「横山神社」として福岡県神社誌に記載があり、宗像三神を祀る「横山三社宮」があります。
まだ未訪問のためgoogleマップに頼るしかないのですが、コメントによれば、元は熊野信仰のお宮だった時代がある由。つまり、こちらが原型をたもち、本社(本家)の神社では祭神の入れ替えが行われたようなのです。
福岡県神社誌:下巻419頁
[社名(御祭神)]熊野神社(伊弉冊尊、事解男神、速玉男神)
[社格]無格社
[住所]早良郡内野村大字西字上広瀬
[由緒]記載なし。
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2023.03.09訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。