過去に「神社めぐり」に掲載するため作成した文章です。現在ではリンク切れとなっている箇所や、すでに情報が古い部分もありますが、再取材はせず当時のまま掲載します(注記:2024.08.25)
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ゼンリンをみると、社殿にたどりつく道(参道)がいくつかあるようです。傾斜のゆるそうな「裏参道」から、金刀比羅宮をめざします。
文政二年 (1819年) 旧藩主毛利元義公が海防と福浦湾の繁栄を図るため、郡代水野忠実に命じて、長府忌宮神社境内に祭っていた金刀比羅宮を当彦島福浦湾頭兜山(富観台)に遷座したもので、文政三年(1820年) に神殿・拝殿が完成し遷座祭を行いました。
その後文政十三年(1830年)には、鳥居・玉垣・狛犬・灯篭などがそろい、遷座十周年の式年大祭を挙行しました。
北前船入港の折、会場安全を祈祷させ、これが評判となり参拝者や寄港する船が増えて、福浦の港は大変繁盛しました。
又、嘉永二年 (1849年)に海防調査を命じられた吉田松陰も、この石段を登っており、南陵小田圭(長府毛利藩の儒学者)が残した碑文も歴史を刻んでいます。
以来、福浦町民ならびに崇敬者は数度にわたり社殿の改修に力を合わせ、その環境を護ってきました。
今日では、福浦を愛する心のよりどころとして、金刀比羅神社は富観台に鎮座しています。
地元まちづくり協議会のWEBサイトの案内文からわかるとおり、社殿をみても相当な格式で建てられたものなのがわかります。
本家こんぴらさんの「金」とは、違いますね……。
方角的には、手前が小倉や戸畑、奥の山が福智山ということになるのでしょうか。
意外と近くなのに、あらためておどろきます。
裏参道から登ってきて、帰りは正面参道を下ります。けっこう怖い。
正面鳥居横に案内板がありました。さきに引用したまちづくり協議会のWEBサイトとほぼ同様なので文字起こししませんが、社殿の規模や格式である程度想像していたものの、末社もある由。
[山口県長門市通]
地図:https://www.its-mo.com/z-123901736-472522132-18.htm
[山口県下関市彦島竹ノ子島町]
地図:https://www.its-mo.com/z-122203011-471161086-18.htm
なるべく近場だけでも、訪問してみないといけません。
そして、元が忌宮神社という関係からか、神功皇后が祀られているのも興味深いところです。
なお、じつは正面参道鳥居を撮影し忘れるという大失態をやらかしています。
正面参道からの画像は、前述のまちづくり協議会のWEBサイトでご確認ください。
(2023.03.08訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。