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旧「美風庵だより」です。

福岡市中央区西中洲 菅原神社(福徳稲荷神社・菅原神社・秋葉神社)

過去に「神社めぐり」に掲載するため作成した文章です。現在ではリンク切れとなっている箇所や、すでに情報が古い部分もありますが、再取材はせず当時のまま掲載します(注記:2024.08.25)


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福岡県神社誌では、西中洲にあるのは「菅原神社」とあります。現地を訪問すると、複数の神社が合祀されており、地図でも福徳稲荷神社という社号で案内されています。

福徳稲荷神社・菅原神社・秋葉神社 由緒書

当神社は、宝暦9年10月吉日(西暦1759年11月吉日)、山城国紀伊郡稲荷本社、正四位下秦親盛神官により、奉安鎮のお祀りが執り行われたことが記され奉納される。
当時、この一帯は住吉村大字春吉字葦原といわれ、新開地として開発されていたと思われる事から、床鎮めの儀によって地域の平安を願われた先人有志の方々により、三神社合祀の原型が、かたち造られました。
嘉永5年壬子(西暦1852年6月16日)、高瀬御内儀氏、中原早治氏、又弘化3年丙丑(西暦1846年6月17日)住吉屋三治氏から銅製の御幣が奉納されております。
先人達の想いが通じたのか、先の大戦下に於いても戦火に見舞われる事なく、西中洲の街は守られて参りました。また、菅原神社につきましては、御祭神菅原道真公をお祀りする神社であり当地との御縁については、延喜元年(西暦901年)太宰府へと左遷された折、長い流浪の末、博多に上陸された道真公が四十川(薬院新川姿見橋)の清流に自信の御姿を映され歎き悲しまれたと語られておることから、その本流であり那珂川の葦原であった当地との御縁によるものだと推察するものです。
このような由緒により当神社が地域の先人により崇敬され守られて参りました。
この度、皆様のご協力により修復されました当神社を後世に引き継ぐためご紹介いたします。

この案内板を読むかぎり、現在の西中洲にあたる一帯が開発されるにあたり、京都の伏見稲荷から分霊を招いて鎮守としたもので、あとから福岡県神社誌にある菅原神社が合祀されたものだとわかります。おもしろいのは、すでにあった天満宮ではなく、あらたにお稲荷さんを鎮守として勧請した点でしょうか。

拝殿内を拝謁させていただくと、扁額はお稲荷さんと天満宮しかありません。秋葉神社も、社頭にあった鳥居の扁額にあったはずですが……。

社殿横にあるこの石祠が、秋葉神社かもしれません。 

福岡県神社誌:下巻380頁
[社名(御祭神)]菅原神社(菅原神、宇賀魂神)
[社格]無格社
[住所]福岡市大字春義西中洲
[由緒]記載なし。
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2023.03.03訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

2023年3月4日の日録 - 美風庵だより