松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

広島県広島市南区京橋町 秀玉稲荷神社

過去に「神社めぐり」に掲載するため作成した文章です。現在ではリンク切れとなっている箇所や、すでに情報が古い部分もありますが、再取材はせず当時のまま掲載します(注記:2024.08.03)


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猿猴川沿いにあります。

秀玉稲荷神社 由緒書

御祭神
秀玉稲荷大明神
堰(おせき)稲荷大明神
桃柘榴稲荷大明神

守護
水難除 商工業繁昌 福ノ神

例祭日
春分 秋分

広島の町の誕生する天正17年より前、五ヶ浦、五ヶ村の名稱で呼ばれた時代に既に農耕守護神として崇敬されていた。五ヶ浦、五ヶ村の時代に治水干拓工事が行われ広島三角州の拡大が謀られ毛利元就は広島城下町の形成拡大に関連して輝元の広島築城に遡る事三十有余年前の弘治元年寺家の内川内衆有力者山県就知に約束し種々の名稱で提が築かれ耕地の拡大が奨勵された故 今の京橋川 猿猴川分岐点になった台奥の鼻(通称デビ)に治水用築堤工事を行い出水の被害から守り又これより南に当る段原比治山新開地に農業用水を引く堰の工事も行われその際の事故犠牲者を提の守護霊として後に秀れた魂の持主と言う意味で秀玉の神号を奉つり祭祀が行われてきました。

付記

明治12年広島区長神社調査の折前記三神を当時の農耕神倉稲魂神御一体にご神号を統一されましたが戦後は又御鎮座当時に戻り祭祀を行い附近住民の崇敬を受け万般にわたって大きな御加護を戴いています。

昭和57年10月吉日

鶴羽根神社々務所

案内板によれば、広島の町が形成されるまえからこの地に祀られていた神様とのこと。明治の神社調査で、祭神がすり替えられることはよくあることなのでおどろきはしませんが、素晴らしいのは戦後、きちんと元通り祭祀を行っているという点です。

それほど大きい神社ではありませんが、これからも水難除けの神様として地域を守っていただけるよう、手をあわせます。

(2023.02.23訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

2023年2月23日の日録 - 美風庵だより