松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市早良区室見4丁目 少童神社(室見少童神社天満宮)


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正面鳥居の扁額は「天満宮」です。これは、この地に最初からあったのが「天満宮」であることに由来します。

少童神社由来

所在地 福岡市大字庄字金戸百参拾壱番地
祭神
 少童神社 大綿津見神(氏神海事)
 天満宮 菅原道真公(学事)

氏神は元庄字前に鎮座されたのを大正九年拾弐月参日当地祈願の天満宮に併祠
神殿の裏に道真公大宰府権帥として筑紫に赴任の砌当地上陸後使用された腰掛石がある

壱月壱日 歳旦祭
四月拾五日 祈願祭
七月拾九日 大祭
拾月拾九日 大祭
拾壱月弐拾五日 新穀感謝祭

福岡県神社誌の由緒と現地案内板の内容からかんがえると、元々ここにあったのは天満宮で、なんらかの理由で大正時代に村社少童神社を移転する必要があり、天満宮と合併したということのようです。

社殿正面向かって右側にあるのが腰掛石と、境内に移転したとある埴安神社でしょうか。

扁額の大きさが揃っていないのは、各地から持ち寄ったものをふたたびつかっているからでしょう。

注連縄を巻いたあとがあるところをみると、このクスノキが御神木のようです。 

福岡県神社誌:上巻87頁
[社名(御祭神)]少童神社(菅原神、大綿津見神)
[社格]村社
[住所]福岡市大字庄字金戸
[由緒]祭神菅原神は無格社天満神社として明治十五年十月十九日据置許可。
祭神大綿津見神は同大字字前に村社少童神社として祭祀ありしを大正九年十二月三日許可を得て移転合併せり。
社説に曰く、祭神大綿津見神は元大字庄字前に鎮座あり、庄の地名の語原は潮より、塩又庄に転化せりと伝ふ、往昔此の辺一帯潮水侵入し来る塩浜にして元の少童神社の西南十町の処に塩田の跡あり、地名の起源、塩浜の事実より見て当社は古社なること推定せらる。又元天満神社は菅原道真公御左遷の時此処に着き給ひ此地の法浄寺と云ふ真言宗の寺院(此寺は今の神社の西方にありしと云ふ、今はなし)に一宿し給ふ是に依りて後世菅公の御社を建立せりと云ひ伝ふ、其時村民左座氏の者此地の塩を献せしと云ふ故に昔より此村の潟にて焼きたる塩を太宰府の神厨に捧げたり、塩浜絶へし後と雖明治十六年迄は毎年八月二十三、四日に塩二斗五升を御供所に献納せり、今は僅に精塩少量持ちて左座氏の者参拝せり。
因に安楽時御領目録に塩浜庄あり又御供屋蔵書太宰府神社日供御供料の内に早良郡庄御塩浜十二町と記しあり。
尚天満神社の事は宗祇法師筑紫紀行にも見へたり即ち明れば二十九日生の松原へと同行さそひて立出侍るに大なる川を打ちわたり見れば右に一群の林あり、即聖廟の御社なり法施まいらせ夫より銘の浜とて塩屋多く処のさまもさびしげなるを過て云々とかけり、社内に円石二つあり共に周四尺位にて菅公の腰掛石と云ひ伝ふ。
不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
[境内社(御祭神)]埴安神社(埴安神)庄字金戸に無格社埴安神社として祭祀ありしを明治二十三年二月許可を得て移転境内に、大正三年二月四日字西園無格社埴安神社を合併同時に合霊許可。
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2023.01.28訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

2023年1月28日の日録 - 美風庵だより