松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2023年1月28日の日録

そういえば牡蠣を食っていないので。

今日は福岡市内でした。

お昼に、あるチェーン店にはいったのですが、カキフライや牡蠣の天ぷらの定食が美味そうだとおもっても、なにかの間違いではないかという値段です。出せないので、その店では野菜炒め定食をいただきました。

帰りみち、駅前のスーパーで冷凍牡蠣を購入します。

マルタイの皿うどんも特売で安かったので、これに合わせることにしました。

牡蠣とエリンギに火を通して、揚げ麺にかけるだけです。料理ともいえないものですが、意外と美味しくいただきました。冷凍牡蠣はすでに蒸してあるため身が縮みにくく、これはこれで美味いものです。貧乏が憎いですね……。

 

「美貌の都」

郷ひろみ「美貌の都」1983(昭和58)年 低画質 - YouTube

♪この国は美貌の都 芝居ばかりが明るい
♪この国は美貌の都 言葉ばかりが明るい
♪振り向いてみれば
♪人はみな 泣き笑顔

こうも寒いとむかしの曲ばかりおもいだしてしまいます。

この「美貌の都」、作詞が中島みゆきさん、作曲が筒美京平さん、編曲が坂本龍一さんという豪華メンバーで、当時、そこまで売れなかった記憶があります。郷ひろみさんというとイメージは「いちにいさん、ば にいにいさん、ば およめおーよめ、おーよめさん、ばー」でしたから、イメチェンがすごすぎてついていけなかったのかもしれません。

そのわりに「この国は美貌の都 芝居ばかりが明るい この国は美貌の都 言葉ばかりが明るい」の部分はしっかり覚えていて、のちに中島みゆきさんが自分で歌ったCDを買うまで、ずっとほかの部分は忘れていました。中島みゆきさんのCDでおもいだし、中島みゆき&筒美京平&坂本龍一という超豪華メンバーの作品と知って二度ビックリでした。

 

今日の運動経路

次の予定まで90分ほどあったので「神社めぐり」をしました。

今回訪問分は、1日1掲載のペースがこのままなら、なんと年末12月29日から翌年1月2日掲載分となります。もし明日交通事故に遭って召されても、全自動で来年まで掲載だけはされつづけるわけです。或る意味怖いですね……。

今日は、福岡市営地下鉄室見駅からスタートします。

1社目の室見少童神社・天満宮です。もともとここに在ったのが天満宮で、大正時代に少童神社を合併したとのこと。どうやら合併した少童神社のほうが格上だったようで、現地案内板などでの表記は少童神社のほうが先です。

「この地に上陸したさいに菅公が用いられた」腰掛石が社殿横にあります。

菅公はいったい何回上陸したのでしょうか?上陸の伝承数をかぞえて「影武者が10人以上いたのではないか」と書いた古代史マニアの論文を読んだことがありますが、ホント、10人では済まないでしょうね。わたしは菅公を詐称した不届き者も相当数混じっていたという立場ですが、どうでしょうか。

次の埴安神社に向かう途中でお地蔵さんのお堂をみつけました。信仰篤いようで、私がなかで手をあわせていると、年齢問わず通りがかりのかたが立ち止まって手をあわせておられました。

地蔵堂につづき3社目となる埴安神社です。敷地のほとんどは福岡市立南庄集会所となっています。政教分離の問題があるので、地べたは地元所有で建物だけ市のものか、同じ敷地にみえてどこかで分筆されているのかもしれません。

4社目の「将軍神社・宇賀神社」です。雰囲気に屋敷神や邸内社につうじるものがあり、個人のMY神社ではないかという気がします。鳥居の奉納者がほぼ同姓というのも、そう感じる原因かもしれません。お稲荷さんには「宇賀神社」とありますが、参道の鳥居は「将軍神社」です。この将軍とはなにか?境内をぐるりとまわりながらかんがえてみると、おそらく勝軍(将軍)地蔵、つまり防火の神さま愛宕権現ではないか?とおもいます。ほんとうになんらかの「将軍」に由来するものかもしれませんが……。

5社目、小田部の宝満宮です。

このあと、googleマップに神社跡と記載のある地点まで足をはこんでみました。

鉄筋コンクリート造の立派なマンションになっています。

団地造成のさいにいちど移転し、さらにマンション建設のさい社殿そのものは解体したとのこと。ただ福岡県神社誌によれば、さきに訪問した小田部の宝満宮に室見神社が境内社として記載されており、すでに合祀ずみだったのかもしれません。

小田部五丁目」バス停から、博多駅のほうへ戻ります。

4km、1時間ほどの運動でした。