「摩周湖」
たまたま平日常勤している事業所で元請けさんと話していたら、そのかた、むかしアマオケのヴィオラ弾きだったという話になりました。
ふと、ヴィオラが伴奏につかわれている伊福部昭さんの「摩周湖」をおもいだし、聴いています。
このCDには、1992年に発表された「摩周湖」が収録されています。更科源蔵さんの詩に曲をつけたもので、16分ほどの作品です。
「摩周湖」は、ヴィオラとピアノ版(オリジナルはこちら)、ヴィオラとハープ版の2つがあり、さすが「全歌曲」と銘打つだけあって、両方とも収録されています。
雲白くたち幾千歳
風雪荒れて孤高は磨かれ
ヤマ ヤマに遮り はて空となり
ただ
無量の風は天表を過ぎ行く
更科源蔵さんの詩の最後だけ引用します。
過去にいろいろとあったにせよ「無量の風は天表を過ぎ行く」のです。美しいですね。
摩周湖は古くは、山奥にある神の湖(Kimtaan Kamuito)と呼ばれていた。
その昔、コタンの酋長が騙し討ちに合い、その祖母と孫は難をのがれたが、逃亡の途中、孫を見失ってしまった。独りになった祖母は永い彷徨の末この湖畔にたどりついたが、その餘りの美しさに心うたれ、地の神に永住を願い出て許しを得た。しかし永い年月孫を待ち侘びた祖母は終に湖の小島に化したと伝えられる。この小島は今Kamui-shut(神に化した祖母)と呼ばれている。
祖母は、今なお孫を偲んで泣き続け、その涙で湖面には霧が立ちこもり、島かげのはっきり見える日は極めて少ない。日照りが少ないので湖畔のナナカマドの実は、本来の真赤な色にはなれないのである。又、無量の風という語には、仏教の慈悲の意が隠されているが、その風さえもが、この深い悲しみを幾千年も見落として、遥か高い天表を過ぎ去って行くばかりであると詠っているのである。〈伊福部昭 *ゾリステン'85「歌と室内楽」プログラムより・1993年〉
バリトン歌手 根岸一郎さんによるものがyoutubeにあったので引用します。歌い手さんがちがうためか、そういう解釈なのか、流れより情動を優先した歌唱です。伊福部さん特有のねちっこさは伝わりますが(藍川由美さんはここまでやっていません)、やりすぎると演歌になるのですよ……難しいところです。
25日朝の記録。


今日も持参する弁当とコーヒー、朝ラーメンの準備をします。貧窮ですね……。
NHKは反社!とあれだけ主張しているにもかかわらず、radikoでNHK第一放送を聴ききます。ラジオ単独の受信料は1968年に廃止されているので、ラジオを聴くぶんには受信料はかかりません。