松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

宗像市原町 お大師堂とお稲荷さま


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ここ宗像市原町は、唐津街道の赤間宿と畦町宿の中間にあり、立場(たてば。休憩所)として栄えたところです。明治から昭和初期にかけてが最盛期で、南郷村役場などがここに置かれていました。

このカラー舗装で整備されている道が、往年の唐津街道で、このお大師堂は、ちょうど畦町宿側のはずれにあたります。

お大師様

幕末のころに創設されたと伝えられている宗像四国霊場は、明治35(1902)年に鎮国寺を総本山とする形で再編成が行われた。このお大師様は、その際に南郷村光岡原町屋形原札所(宗像四国49札所)として新たに定められた。明治43(1910)年には札所設置の要望が高まったことから釣川を境に東部霊場と西部霊場に分割され、お大師様は東部49霊場の札所として今も人々に信仰されている。

この「神社めぐり」シリーズをはじめるにあたり、戦前発行の福岡県神社誌の見出し部分をデータ化したのですが、そのなかに「原町」という大字はありません。

不思議におもっていると、1978年に大字光岡・大字野坂から再編されて大字原町ができたとのこと。この大師堂があるあたりは、光岡村の一部だったわけです。

訪問当時は気づかなかったのですが、ほんらいここにお堂があったようです。今回参考にさせていただいているWEBサイトでは、2016年にはお堂があったことが確認できます。

2014~2016年に撮影された画像と見比べると、黄色の部分の仏さまが増えています。お堂解体後に、どうやらここに本尊は安置されているようです。

訪問当時、十三仏の横に並ぶこのお地蔵さんっぽいのがお大師さまなのかとおもっていました。どうやら、そうではなかったようです。

とくに左隅のお大師様(とおもって眺めていた仏像)は、いい感じのやさしい雰囲気です。近くに来たらまた会いたいと……ん?

どこのバチあたりか知りませんが、メガネの落書き……。


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世のなかひでえやつがいるなぁとおもいつつふと気になりお大師堂の反対側を見やると、道の向こうにおそらく屋敷神のお稲荷さんがあり、手をあわせました。

[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.09.26訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

9月26日の日録 - 美風庵だより