松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市中央区今川2丁目 西町観音


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西町観音[仏教礼拝所][福岡県福岡市中央区]-お寺めぐりの友

聖徳太子が作った阿弥陀如来像が福岡市にある?! - Y氏は暇人

西町観音 ~街中の小さな観音様 ~福岡市中央区今川の観音堂 | 九州下町おやじの珍道中

聖徳太子御作と言い伝えられた如来像があるお堂ということで、以前からリストアップしていた場所のひとつです。やっと訪問することができました。

「略縁起」とある由緒書きの扁額を撮影したのですが、ガラスに反射してばっちり全身が写りこんでしまっています。

前述の、今回参考にしたWEBサイトからご覧ください(笑)

(画像は、境内にある略縁起を彫りつけた原碑。なお、旧字旧仮名です)

略縁起(完全意訳です)

そもそも当観音堂の本地妙観察智(もっとも大事な存在であり、決してお見捨てにならない知恵の徳をそなえた仏さま)の阿弥陀如来は聖徳太子が自らおつくりになられたもので、むかしは豊前の宇佐に在りました。1720年(享保5年)庚子の年の7月、黒田藩の家臣であった庄野彦左衛門直義入道が(手に入れ)、武運長久をねがい鳥飼八幡宮の本地仏(神のほんらいの姿をあらわした仏さま)として、鳥飼八幡宮の社殿に安置(奉納)し、鳥飼八幡宮の別当職である鳥飼山鎮護寺感応院の住職が代々奉斎してきたものです。
1872年(明治2年)、明治維新の大改革により、神社とお寺を完全に分けることになりました(注:それ以前は神社とお寺が一体であることは当たり前でした)。当町(西町。観音堂のある周辺地域)の有志たちは、大事な仏像が流出するのではないかと不安になり、関係する役所などに願い出て、この観音堂を建立し、地行地区にある真福寺に管理をお願いし、西町の守護仏とすることにしました。
ながい月日のあいだに観音堂も傷み、1927年(昭和2年)6月に西町有志の出資で修繕をおこないました。それ以降も、むかし以上にあつく崇敬されています。
隣の観世音菩薩は、阿弥陀如来のそばで人々の救いを求める声を聞き33の姿に変身して、多くの人々を救い利益を与える仏さまです。この観音さまは、黒田長政公が朝鮮出兵のさいに、朝鮮から献上されたものとのこと。
(阿弥陀如来さまにあわせて)三世の覚母(さんぜのかくも)とも称される文殊菩薩さまと、(さきに述べた)天満宮に祀られる菅公のほんらいの御姿である十一面観世音菩薩が、この観音堂に祀られています。
拝礼信仰されるみなさまは、必ずこの世と来世の2世代にわたり、どこまでも際限なく御利益にあずかることができますから、ふかく尊び信仰することをおすすめします。

かなり意訳がはいっていますが「略縁起」の内容はこんな感じです。

賽銭泥棒対策で施錠されているため本尊に拝謁はむつかしいかとおもいましたが、賽銭を投入するすきまから、なんとか拝謁させていただくことができました。

(2022.09.23訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

9月23日の日録 - 美風庵だより